人を好きになれず、困っています
25歳です。生まれてこの方恋人も友人もいたことがありません。
初恋もなければ友達になりたいと思ったことのある人もいません。
とある方が著書の中で「人を愛したことの無い人生は気の毒」と書かれていてグサッときました。
確かに、最近災害が頻発していますが、こういう時に心配になる人も誰一人思い浮かばず、誰からも心配されてもいないのだろうなと思うと、自分の人生は一体何なのだろうかと虚しくなりました。
友人も恋人も欲しいです。でも他人を好きになる方法が分かりません。
他人と関わっていても、物凄く冷めた目で見ています。
人とふれあうとか一緒に楽しむじゃなくて、「観察対象」というような感じで見てしまいます。
そのため、相手も自分を観察していると思っているので、気が気じゃないです。「こんなゴミと関わりたくない」とか思われているんだろうなと思うので、結果、人を避けます。
かと言って、感情も冷めているかと言われればそうでもなく、たまに暴発しそうになります。
最近テロ紛いの殺人事件も増えていますが、ああいうニュースを見るたびに「この犯人と自分は同じだ」と感じます。一歩間違えれば自分もああなるだろうなと。
それぐらい、他人に対しての共感や興味、情の抱き方もわかりません。
他人を大事にするという感覚も乏しいため、かなり攻撃的になります。
自分以外の人たちは人に優しく出来たり、気遣い出来たりするのに、なぜ自分はそういった能力を持ちあわせていないのかと劣等感に苛まれることも度々あります。
こんな人間なので、間違いを犯さないため、人と一緒にいて楽しいと思ったり、好きになったり、人を大事に出来るようになった方がいいと思ってはいるのですが、とにかくその方法がさっぱりわかりません。
なぜこんなに他人に対して攻撃的なのかもわかりません。
よく「他人を好きになるにはまず自分を好きになること」みたいに言うので、自分を好きになる努力をしました。でも自分は好きでも、他人は自分のことを嫌うだろうし、どうせ自分なんかと関わりたくないだろうなとしか思えません。
こういう人間におすすめの小説や本とか、仏教と照らし合わせた考え方とかでも、何でも良いです。
何かアドバイスをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教的道徳について
gami様
拝読致しました
今まで 恋人も友人も居ないとありますが
大なり小なり
困った時に助けてもらった経験があると思います
そういったお互いのやりとりを認識した時に
なにか感情が生まれ、好意や思いやりとなるのです。
引用になりますが
仏教の道徳として、一番は
利他行、、、、他者を助ける
があります
もし それができないのであれば
少なくとも危害を与えないということです
他者を傷つけない(心も身体もです)
これは仏教者にとって基本の非暴力にも繋がる項目でもあります
この言葉を心の隅に留めておいて頂けたらと思います
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
困ったときに助けてもらった経験はありますが、「助けることでこの人にどんなメリットがあるんだろうか」とか、「人間の性質上、ここで助けておかないとばつが悪いからやるんだろうな」ぐらいにしか考えたことがありませんでした。
そこからどうすれば感情が生まれるのか、よく分かりません。
あと、他者を傷つけないとのことですが、自分もそれを怖れてほぼ引きこもり状態です。傷つけないためにはそもそも交流しない、世に出ないのがベストだと思うので。ですが、結局このままだと将来行き詰まって何かやらかす図しか思い浮かびません。