加害者を玩具にしてしまいます
はじめまして。こんにちは。私は最近職場の先輩からセクハラを受けました。怒りも悲しみも悔しさも恐怖も感じない代わりに「私に好意などというおぞましいものを向けておいて平気な顔をして笑っている相手をどうしたら面白い玩具にしてセクハラの証拠を集めて上司に報告して報復できるだろうか。ちょっと一波乱起こして楽しむとしよう」と考えてしまいました。私が行ったのはいつもと変わらない態度で先輩に接し、先輩が寄越してきた手紙に書かれていた「日々輝きを増していくあなたがいろんな意味で大好きです」の通りに嫌われものの先輩に対しても無邪気になついている後輩を演じ続けました。その結果、暇だから電話かメールをください、暇だから少し電話で話しませんか、今日は家に自分しかいませんというメールや手紙を渡されるようになりました。そろそろ頃合いかと判断して上司に相談したところとても親身になって話を聞いてくださり、これは明らかにセクハラ行為だと認めてくださいました。「あなたとしてはもうこの先輩と同じ場所で仕事したくないよね」と言われたので迷わずはいと答えました。先輩がこの後どうなるのかはまだ分かりませんが上司に報告した後に「思ったより愉快な騒動にはなりそうもないな、私を無邪気な小娘だと勝手に思い込んであんなおぞましいものを向けておいて随分味気ないな。もうちょいもがいて楽しませてほしかったのに、つまらん」と思いました。友人に相談したところ人を玩具にするのは良くないことだよと教えてくれたのでこれを治したくなりました。しかしどうしたら良いのか分からないため、こちらに質問させていただきました。よろしくお願いいたします。
怒りを感じない代わりに事態を面白おかしくしたくなる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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治らないと思いますよ。
これまたお坊さんの反応を見て楽しんでやろうというものではなく、真剣に相談したいという前提でお話致しますが、結論から言うとそうした性根というか人格というか、あなたの本質というものはまず治ることはないと思います。
キツイ事を言うようですが、それが紛れもなくあなたという人間だからです。
ただし行いを改めることはできます。今回のようにお友達からいけないよと諭されたり、自分で「これではいけないな」と強く自覚すればある程度は改めることも可能でしょう。
今は年齢的にも自身を他者に置き換える習慣も無く、業を受ける時期でもないのでしょう。でもいつか回りまわって自分が他者に与えた苦痛を味わう番になり、本気で困った時改めてお近くのお寺かこちらをお訪ね下さい。
自身が経験しないと耳に入らないこともありますからね。
悪いことはしない。良いことはする。
もうやらなければいいだけでしょ。
人を他人としてみるのではなく、自分自身の様子として見られるようになれば、思いやりをもって接することができます。優しい人、思いやりのある人、周りの人に共感してあげることができる人は、とてもいい人でしょう。人を馬鹿にしてもてあそぶようなことは、間違えなくひどいこと。そこにもし気が付くことができたのなら、今すぐやらなければいいのです。他の人のことも自分のことだと置き換えて考える。そうしたことでも少しは変われるでしょう。