プチトマト
私の前世は、プチトマトです!!!根拠はありません。小学2年生の時に、そう思いました。特に信仰している宗教もありませんでした。でも、オバサンになった今でも、その時の「ハッ!」とした気持ちは変わることがありません。誰に言っても笑われるだけなのですが、確かにピンときたのです。現在、人間ですが、来世はまた違うものになっていそうです。と言うのも、「次は何になるのかな?」と小2の私が思ったからでして…そういう「ひらめき」というものは、全くの無意味なものなのでしょうか?いまだに謎目いています。ずっと一度お坊さんに聞いてみたかったので、今聞いてみようと思います。宜しくお願い致します。
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間は「意味」を求める
「科学では説明がつかない現象」とか「第六感」とか「不思議な出来事」というのはあると思います。それらを否定はしません。
問題はその先で、人間はそれらを「自分にとってわかりやすい理屈」の範囲に抱え込んで「納得」してしまうということ。
そして、その「納得」は場合によっては「悪用」されやすいものであるとともに、誰かに起きた不思議な現象についてもその自分の納得を「押し付け」たくなる事もあるということ。
そこに人間の危うさを見ます。
人間は弱いです。ですから「わからないこと」は「不安」であり「恐怖」です。なのでそのわからないことを自分の「分かる範囲の理屈」で「納得」して「安心」したいという傾向があります。その時その「納得」の内容が事実であるかどうかはあまり問われません。自分の「思い」が満たされていればそれでよいのです。
プチトマトを見て「ハッ!」とした感覚・気持ちは事実です。そいう事ってあります。でもその事実を「前世がそうだから」という意味付け・関連付けで「納得」した方が自分の「思い」が「安心」だということはないでしょうか。
こうした例は様々です。
例えば「虫の知らせ」なんていう言葉がありますが、「そういえば祖父が亡くなった時嫌気にチョウチョがまとわりついて飛んできて気味が悪かったんだけど…あれは今から思えば」というのは典型的な「後付け」の「意味付け」でしょうか。
もちろんそうした「後付け」でなく、実際にどうしても説明のつかない現象というのはあることはあると思うのです。でもそれを「不思議な事もあるもんだ」と「わからないまま」にはしておけず、「それってこういう意味なんじゃ?」と何でもかんでも「納得」を求めてしまうとすると、場合によっては
「何代前の先祖が祟って」とか「水子が寂しがって」とか、そういう「意味付け」の「悪用」の餌食にもあいかねません。
トラスさんがお感じになった「ハッ!」とした感覚は大事にしてほしいですし、「プチトマト」にご縁を感じるのならその感覚もご自身にとって大事なものとして味わっていかれることは素敵な事だと思います。
しかしくれぐれも人間のもつ「危うさ」には注意を払いつつ、「悪用」や「押し付け」とは距離をおきたいものであります。
プチトマトと思って幸せなら
前世がプチトマトだと思った方が幸せなら、そう思っておいても良いと思います。
仏教的には、輪廻転生の範囲は、心を持った生きものです。
プチトマト単体に心があるのかは疑問です。
しかし、植物に宿った精霊・神様なら心があるでしょうから、前世がプチトマトではなく、プチトマトに宿った精霊か神様だったのかも知れません。
(仏教では、神様にも寿命があるので、神様も死ぬと考えます。)
あなたは、プチトマト前世説をひらめいた時、とても幸せな気分でしたか?
もしかしたら、その幸せな気分と、たまたまひらめいたアイデアが記憶の中でセットになっているから、そのひらめきを気にいってるのかもしれません。
プチトマト前世説をひらめいた当時のあなたは、どこにいて、誰と何をしていましたか?
どんな服装でしたか?
プチトマト以外に、何か幸せな状態があったのかもしれません。
記憶をさかのぼってみるのも面白いかもしれません。
質問者からのお礼
プチトマトを大切にしつつ、今は人間を楽しみたいと思います!子どもじゃあるまいし…とか言われるかなぁ…とか思っていましたが、お返事いただけて有り難く感じています!スーパーでプチトマトを見ても何とも思わないのですが、庭にあるプチトマトを見ると、私が実っているようで、不思議に思っていたのです。赤くなったら、私が食べてしまうので、毎年この時期が来ると、「命をいただきます」という想いが、常日頃より強くなります。口にするものは、皆命あるものなので、大切に、感謝の気持ちを忘れずに、美味しくいただいていきたいと思います。
私のプチトマトの話に、たくさんのお返事が来ていて、驚いています。お一方ずつに、ありがとうという思いで、お返事を書かせていただきます。うーんと…プチトマトと思った時も、今も、気持ちは変わらないですが、小さい頃から、お庭でいろいろなお野菜を育ててきました。でも、プチトマトにだけは何か強く惹き付けられるような気がしていて…うーん…プチトマトが好きだったのでしょうか…懐かしさを感じていたことだけは確かなのですが…。よく分からないです。でも、プチトマトが今も大好きです!!!