立ち直るには
おはようございます。
唐突ですが、私は、ネットの書き込みで人を傷つけてしまいました。相手に悪口を言ってしまいました。その言葉で相手を深く傷つけてしまいました。とても後悔し、反省しています。きちんと謝罪しましたが、相手がそれをどう捉えているのか分かりません。読んですらいないかもしれません。
二度とこんな事をしない。もっと人の気持ちを考えられる優しい人になろうと反省しました。私の事を許す、許さないは相手が決めることなのだから、こうして自分は反省を活かして生きていくしかないと思いました。
でも、自分があんな事をしなければ、相手は傷つかなかった。どんなに苦しめただろう。あのことがなければ、自分がここまで苦しむことも無かった。もう自分が笑うことも、幸せを感じることも、許されないのではないか。そんな後悔と自責の念ばかり考えてしまい、何も手につきません。本当はこんなことをしている場合ではないのに。勉強も集中できません。ろくに食べられず、眠れず、かなり体重も落ちました。
どんな考え方してこの先過ごせば良いですか?教えて頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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めろんさん初めまして。
ご質問読ませて頂きました。
人を傷つけてしまった後、実は傷つけた側が一番傷ついてしまうのかもしれませんね。
ある本に書いてありました。
日本では子供のころから
『他人に迷惑をかけてはいけないよ』と教わり育てられます。
インドでは
『他人に迷惑をかけているんだよ』と教わり育てられるそうです。
迷惑をかけたり、かけられたりしながら生きているんだよ。
自分も迷惑をかけることがあるんだから、人にかけられた迷惑も許してあげようね。
という教育を受けるそうです。
さすがは仏教発祥の国だなぁ。と思いました。
私たちはみな不完全な存在です。
不完全同士が関わりあいながら生きているのです。
時には人を傷つけてしまうことも、また傷つけられることもあるでしょう。
めろんさんのおっしゃるように、反省し、二度としない!と自分をいましめることも大切でしょうが、それより大切なのは、
私たちは迷惑をかけたりかけられたり、傷つけたり傷つけられたりしながら生きている不完全な存在なんだ。ということです。
あんなにするもんか!と思ったことを、ついやってしまうのが人間です。
弱い存在なんです。
だからこそ、許してあげなければなりません。
自分の弱さを知れば知るほど、他人も同じく弱いんだ。
自分が傷つけてしまったのなら、他人から傷つけられた時、許してあげましょう。
迷惑をかけてはいけない。のではないのです。
迷惑をかけあいながら、そして許し合いながら。
生きていけばいいのです。
過去の事実を変えることは出来ないが、見方を変えることは出来る
こんにちは。亀山純史と申します。
ネット上では相手の顔が見えないため、こちらが謝罪しても、相手がどのように受け止めているかが見えにくいところがありますね。したがって、こちらが出来る最大限のことをしたのであれば、もうそのことを引きずらないようにしたいものです。過去に起きてしまった事実は変えることが出来ません。しかし、人はそのことをわかってはいても、いつまでも変えることが出来ない過去にしがみついてしまうものです。
もし、過去を変えることが出来るとしたら、それは過去に起きた事実ではなく、その過去の事実に対する私たちの評価・見方でしょう。人が成長するのは失敗からです。失敗から何かを学ぶ事が出来たのであれば、それは「私にとって必要だった失敗」として受けとめましょう。
最後に、過去に囚われているあなたに、お釈迦様の言葉を差し上げましょう。
「過去を追うな。未来を願うな。 過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやってこない。 だから現在のことがらをそれがあるところにおいて観察し、 揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。 ただ今日なすべきことを熱心になせ。(「中部経典」より)」
質問者からのお礼
大乗 様
本当におっしゃる通りだと思いました。言葉がすっと胸に入ってきました。ありがとうございます。
少しだけ気が楽になったかもしれないです。
人はみな、不完全な存在。この言葉を忘れずに、周りの方と関わっていこうと思います。
本当にありがとうございます。
亀山 純史 様
温かい回答、ありがとうございます。
亀山 純史 様
温かい回答、ありがとうございます。
向き合い方を変えていこう、と思えました。
自分にとって学びのある過去だ、と考えられるようにしていこうと思います。
ありがとうございました!