生き方と家族との関係についてのご相談回答受付中
私は、親や家族との関係の中で、心身ともにつらい経験をして育ちました。
いわゆる虐待に近いようなこともあり、「大事にされなかった」という感覚が、今も強く心に残っています。
正直に申し上げると、その影響で、私は今も自分の人生がどこか歪んでしまったように感じています。
本来なら、もっと違う形の人生があったのではないか、
「人生を壊されたように感じている」という深い悲しさを抱えています。
そのため、
・自分を大事にしてくれなかった人たちと、これからどう関わるべきなのか
・そういう人たちを心の中で「手放していいのか」
・さらには、先祖や家系そのものに対して、憎しみのような感情が湧いてしまうこと
こうした思いを持ってしまう自分に、戸惑っています。
また、私は親の老後の介護や身の回りの世話を、自分が担うことに強い抵抗があります。
「親だから面倒を見るべきだ」と言われることもありますが、
自分の心が壊れてしまいそうで、どうしても前向きに考えられません。
一方で、仏教では「先祖供養は大切なもの」「命をつないできたことへの感謝」が説かれていることも知っています。
けれど正直に言うと、私はまだ
・生まれてきたことへの感謝
・なぜ産まれたのかという問い
に、前向きな答えを持てずにいます。
感謝できない自分は、間違っているのでしょうか。
それとも、今はまだそう感じられない時期なのでしょうか。
ご住職のお考えや、仏教的な視点からの言葉を少しでもいただけたらありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 1件
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傷ついたままの私を、そのまま抱く願い
かんさん、ご相談をお寄せくださり、ありがとうございます。
親や家族との関係の中で深く傷つき、大事にされなかった思いを抱えてこられたこと、その痛みはいまも胸に残っておられるのですね。
本来なら違う人生があったのではと感じるほどの悲しさは、決して特別なものではなく、多くの人が奥深くに抱える問いでもあります。
誰かを憎んでしまう心や、距離を置きたいと願う気持ちは、冷たさではなく、自分を守ろうとする必死なはたらきでもあるのでしょう。
親の老後を担えないと思うことも、親不孝ではなく、これ以上壊れないための切実な叫びとして、まず大切に聞かれるべきものだと私は思います。
命をつないできた事実と、その過程で受けた苦しみは別のもので、感謝だけを急がされると、心はかえって閉じてしまいます。
仏さまは、感謝できない私、恨みを抱く私をも、そのまま抱きとめるはたらきとして語り伝えられてきました。
だから、いま答えが出なくても、前向きになれなくても、それは間違いではなく、正直に生きておられる証しなのだと思います。
どうか無理に結論を出そうとせず、今日を何とか生きている自分を、少しでも労わるところから始めてみてください。
一人で抱えきれない思いは、いつでも言葉にしてよく、仏さまの願いの中で、あなたの歩みは決して見捨てられてはいません。


