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私が考えて答えが出ないこと。

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まず、私がこうやってこのサイトにたどり着くことは前から決まっていたんですか?
運命って決まってるんですか?
運命を決めている人がいるんですか?

このことが気になって勉強をする気になれません…


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何事も因縁です

仏教に関心をお持ちのようですから、仏教で説く「因縁」について、或る程度ご存知の事と思います。

我々の行為とそれに伴う結果について仏教では

  因  +  縁  =  果  と説明されています。(便宜上、数式の形にしました。)

  因とは、我々の行為行動と理解すれば宜しいと思います。縁とは、我々を取り巻く条件と理解すれば宜しいと思います。今回、あなたは、仏教や哲学に関する検索をインターネットで行い、その結果としてこのサイトにたどり着いたのだと思います。検索という行為をしたから、たどりついた訳です。あなたが検索という行為をしなかったら、このサイトの存在を知る機会は無かったかもしれません。

 このサイトがスタートしたのは、2012年11月19日だそうです。ですから、それ以前は「仏教への疑問を抱いて」も「お坊さんに悩みをぶつけたくて」もhasunohaというサイトは存在しませんでした。

 本日、くるみさんが仏教や哲学に関する検索を行い、hasunohaというサイトが存在し、様々の条件(縁)が重なってhasunohaにたどり着いたのです。運命で決まっていたことでは無いと思います。

 現実の世の中の出来事は、様々な因と縁が複雑に絡み合いながら、生じます。そのメカニズムを成りたたせるものを仏教では「法(ダルマ)」と言います。ダルマを正しく見極めることが出来る者を覚者)ブッダ)と呼びます。

  キリスト教などの一神教では「運命を決めている人がいるんですか?」という質問には対して「全知全能の神が存在する」と答えると思います。仏教の立場から答えるとすれば、「運命を決めている人はいません。ものごとはすべて因縁から成り立っており、ダルマという大きな原理原則の中で自分の行為がどのような条件によってどのような結果が導き出されるか正確に把握することは仏陀でなかれば出来ないことです。」

以上のように、私は理解しております。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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運命論はナンセンス

亀山純史と申します。
「自分の人生はすでに決まっている。」とはどういうことでしょうか。あなたの人生は、たとえば、「あなたは明日学校に遅刻をし、先生に怒られるでしょう。」などと予言できるものである、ということですか。でも、そんな予言なんてできませんよね。では、後出しジャンケンのようなものですか。「今日私は学校に遅刻をし、そして先生に怒られた。それはすでに決まっていたものだ。」と、物事が起きてから、「それは実はすでに決まっていたことですよ。」ということでしょうか。
でも、物事が起きてからの意味付けで運命論を説かれても、そこにどんな意味があるというのでしょうか。たとえば、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。ある人が、「この震災が起こり、これだけの犠牲者、震災者を出すことは、すでに決まっていたことだ。」と言ったところで、どんな意味がありますか。「すでに決まっていたことだ。」と言われたところで、私たちの被災地復興に向けての取り組みにブレーキがかかるとか、逆に復興への取り組みに勢いが増すということもありません。そこにあるのは、被災したら、そこから立ち上がるのみである、ということです。つまり、未来の出来事がわからない時に、「人生はすでに決まっているのだ。」としたところで、それはナンセンスだと言えるでしょう。
では、ナンセンスでない物の見方とは何か。それは、「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」という縁起の見方だと思います。
以上が私からの回答です。

追記:もし仮に、運命を決める人がいたとしたら、その人はどうやって運命を決めるのでしょうか?その人が運命を決めることと、私たちが物事を決断することと、どう違うのでしょうか。結局のところ、この種のご質問は堂々巡りに陥るものだと、私は思っています。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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追加の質問で

こんばんは。途中からの話ですみません。
「時は、いつから始まったのだろうか」という問題があったとします。実はこれ、典型的なナンセンス問題なのです。つまり、「始まる」という言葉は「流れの中の一点を指す、つまり一点を指した瞬間に、その前後が生じる」ものなのです。だから、この問いかけは「始まる」という言葉の理解不足がなせる業なのです。
 あなたの第一の質問は「運命って決まってるんですか? 運命を決めている人がいるんですか?」でした。「運命」という言葉自体、すでに「幸福や不幸というものに出会うかどうかは、人の力を越えて決まっている」という意味合いを持っています。つまり、「運命」は決まったものであり、かつ誰か人間が決めたものではありません(神様や天が決めている)。ところが世の中では「あの人は運命の人(だと気づいた)」とか「ここにたどり着くのは私の運命だった(と思う)」とか、普通に流通していく中で、あまり厳密に定義されずに何となく了解されているものです(これは全ての言葉について同様です)。
 さて、そこで追加の質問を考えます。
 「運命を決める人は誰?」人間ではありません。神様か天です。ここまで来ると、「あなたにはそれが信じられますか?」という問題でしょう。実際にそのシーンを見られないのですから。ということで、実は「何の宗教もベースにしないで」運命を扱うことはできないのです。

 でも、そうするとむしろシンプルな問題になります。
「人間の幸福や不幸は、神様か天が予め決めている」という運命論を「いいな!」と思うか、それとも「運命論はナンセンスで、常に縁起によって物事は起こる」という仏教的考えを「いいな!」と思うか。どちらでも選べるのです、あなたが。「人間は死んだらゴミになる」を「いいな!」と思うか、「人間は死んだらご先祖様になる」を「いいな!」と思うか、それと本質的には変わりません。そこに私たちの自由というか余地があると思います。
 言葉というのはあやふやなもので、最終的には「自分としてはこれがいな!」で扱うしかありません。しかし独自勝手にはできません。周りの人と共通理解できなければならないのです。自分の実感に沿い、なおかつ他人にも分かってもらえる。そんな表現を身に付けるには…勉強です。突き詰めようとする態度は宜しいと思いますが、どこかで見切りを付けるのも、生活の知恵ですよ。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
何の宗教もベースにしないで
運命を決める人は誰?っと質問したらどういう返事が来ますか?

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

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「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

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運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ