心のよりどころ
正論にいってしまいます。
正しさを捨て優しい人間になりたいです。
正論を吐き、親切な人間より、、優しい人間になることは、難しいと思います。正論を武器にしたくないです。
何か持っている人は強いと思います。例えば、家は、ゴミか物にあふれている、しかし、外の世界では、機械みたいに、働いている。
何かにとりつかれている人間は、強いと思います。しかし、そんなよりどころのある人間は、本当に強い人間と言えるのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
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強さとは
私も正論にいってしまいます。
正論を述べ反論されると、さらにかぶせて正論にいってしまいます。
優しい人間になりたいですね。
あなたのおっしゃるとおり、優しくなれるのは難しいのかも知れません。
でも善を偽る「偽善家」にはなりたくない。
なにか持っている人。
うらやましくもあり、その人に対し劣等感をもってしまいます。
圧倒されます。
ただ、その人が強いかどうか・・・
どうなんでしょう。
己の心が勝手に、その人を強くしているだけなのではありませんか。
どれだけ能力があろうと、依存的な人は強いとは言えないでしょう。
同意を求めたり、自分の能力を自慢したり。
そんな人は弱く小さいのです。
自己顕示欲のかたまりです。
ですが、自己顕示欲が強いこと、自分をアピールできることこそ、強さなのかなと考えたり。
最近分からなくなりました。
どれが強い生き方なのか。
ただ、孤独に耐えうる人は、強い。
少なくとも私は、そう思います。
自分の意思を貫き通せる人。
周囲に味方がいなくとも、それはそれで平気な人。
それが強い人間なのだと私は思います。
質問者からのお礼
海老原 学善様 ありがとうございました。