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淡々と生きるとは回答受付中

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有り難し有り難し 12

久しぶりのご相談となります。
表題の件について、ご相談させてください。
職場での人間関係および業務量から精神を病んでしまい、現在休職中の身です。
心療内科に通院した際に、かかりつけ医から「仕事は淡々と行うことが大切。そのイメージを持って、復職に向けて前に進むことが治療になる」と言われました。私自身、淡々と生きる、とは遠い生活をしてきたと思っております。どちらかというと、喜怒哀楽が激しく、なにかの判断を下すときは理屈より感情が優位です。
淡々と生きる、淡々と働くとはなにでしょうか。先生は、例として住職の方をあげていましたので、こちらで相談させてもらいました。
回答をお待ちしております

2025年8月11日 22:35

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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談の「淡々と生きる」「淡々と働く」という言葉は、仏教の修行にも深く通じるテーマです。

まず、淡々とは「感情をなくすこと」ではありません。
それは決して、喜びや悲しみを押し殺してロボットのように働くことではなく、むしろ感情に呑み込まれず、出来事と一定の距離を保ちながら関わる姿勢を指します。

仏教の言葉で言えば「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」が近いでしょう。
これは「心が静かに平らである状態こそが道である」という意味で、嬉しいことも悲しいことも、過剰に掴まず、流れの中に置くことを大切にします。

あなたがおっしゃるように、これまで感情が優位で動いてきた方にとって、「淡々」というのは最初は味気なく、物足りなく感じるかもしれません。
しかし、淡々さは“感情の欠如”ではなく、“感情との距離感”なのです。

例えば、朝お茶を一杯入れるとき、
「今日は気分がいいからお茶を入れる」「今日は気分が悪いからお茶をやめる」ではなく、
気分や天候に関係なく、同じ手順でお茶を入れる。
これを毎日繰り返すことで、心の波を静める土台ができます。

仏教修行では、読経、掃除、食事などを“作法”にのっとって淡々と行います。
そこには、喜怒哀楽の大波を収め、心を整える作用があります。

もし日常で練習するなら、こんなことから始められます。

・同じ時間に起きる・寝る(規則性が心を安定させる)
・一つの作業を、呼吸を意識しながら行う(皿洗い、書類整理など)
・出来事にラベルを貼らない(「良い悪い」より「事実」として受けとめる)

淡々とは、感情を否定するのではなく、感情に飲まれずに行動できる心のしなやかさです。
それは、復職後の「感情の波に消耗しすぎない働き方」にもつながります。
合掌

2025年8月12日 13:16
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有り難し
おきもち

個別相談可能
仏教×対話×ビジネス。僧侶・理学療法士・プロファシリテーター。経営と人生に「問い」を。仏教と対話で導く、リーダーのための内省と再構築。ビジネスという営みを通じて、人が本音と出会い、本来の個性で生きる場をひらいています。 ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください
心身ともに医療介護は専門領域。 これまで急性期から終末期まで患者さんを担当。 町の診療所から在宅までキャリアを築く。 2歳から108歳まで患者さん担当。 カウンセラー、コーチ、コンサルタントでもありますので メンタルヘルスから新規事業、マネジメントまで相談対応可能。 ビジョンワークはライフワーク。 もちろん職業柄、人生相談はこれまで多数受けてきました。 ぜひご自身の本音を出してください。向き合ってください。 私は伴走させていただきます。

思いを追わない。反芻しない。

 いやいや、我々にも喜怒哀楽はあります。子どもが笑顔を見せてくれれば嬉しいし、お葬式に行けば悲しくなる。だってそれは自然なこと。映画を観て感動して泣いてました、今日は。
 仏教が重く取り扱うのは、その中でも苦と呼ばれる、「思い通りにならなかったこと、ならないこと」です。人間は、満足したことは忘れやすく、残った問題が気がかりになるもの。それは「より良く生きていくため」としか言いようのない性質です。
 苦はどこから生じるか。それは煩悩と呼ばれるもの。主には「貪り、怒り、真理を知らないこと」の3種です。
 感情は、主にあなたを守るために発達しているものです。特に危険を感じたら、すぐ対応しないと。傷つけられる可能性があるからです。
 それに対して、「真理を知る」には落ち着いて対象をよく観ないといけません。
 なので、危険を感じたらその次の行動が大切です。「危ない!危ない!」と危険信号で右往左往するか、「何が起きているか、しっかり見定めよう」とするか。
 そうやって自分の危険信号を観察できるようになると、「実はそう大きな問題でもない」ことがよくあります。また、対応を重ねていくことで学習が進み、「ああ、これ前と同じだ」というのが分かるようになります。
 要するに「一旦落ち着く」ための自分なりのルーチンを持つのが良いと思います。私なら「え!何これ!南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と、決まった呪文を称えるようにしています。それによって感情の渦から離れる。で、よく観察します。
 もちろん、安全な環境と分かっていれば思いっきり感情に浸ります。映画で泣くのもバカ騒ぎするのも。
 今回は「淡々と」がテーマなので「自分なりのルーチンを」をお勧めしますが、ご自身の感情を押し込めず、かと言って増幅せずという練習をやってみるといいですよ。
 感情が騒いだら、「今だ、練習のタイミング来た!」と、まずは察知してください。それができれば、もう一歩を踏み出している事になりますよ。

2025年8月12日 0:36
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

鼻唄混じりに手を動かす

例えば食器を洗う作業をするときに、
過去や未来や自分や他人に関する妄想雑念を膨らませ、怒りや悲しみ等の感情を脳内に分泌させながら手を動かすと、その食器洗いは不幸な時間になります。
一方、鼻唄混じりに手を動かしたり、音楽や聴く読書を楽しみながら手を動かしたなら、リラックスして楽しい気分のまま食器が洗い終わります。
職場でも同じです。
仕事中に、過去や未来や自分や他人に関する妄想雑念で感情をかき乱しながら歯を食いしばって手を動かしたり涙をこらえながら手を動かすのと、鼻唄混じりに(実際に声は出さずとも歌うように踊るようにご機嫌に)手を動かすのとでは、同じ業務量でもストレスは大違いです。
ということで、妄想雑念や思考の堂々巡りを減らしましょう。

2025年8月12日 8:06
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

お料理をするときのように

根無し草さん、こんにちは。
ご担当医がおっしゃっていたことの真意をわたくしなりに推察してご回答申し上げますと、仕事そのものというよりも、職場の人間関係や他者のことを気にしすぎる点について、「どうにもならないこと」を気にしていても物事が進みませんよ、ということだったのではなかったでしょうか。
例えばお料理をする際などは、根無し草さんもわりと「淡々と」作っておられると思います。
卵を割るときのヒビの入り方やフライパンに油を敷いたときの油のかたちを気にしてあれやこれや手を加えていたら、いつになっても目玉焼きは完成しませんでしょう。
味噌汁を作るときだって、そうです。切った豆腐ひとつひとつの大きさの違いや具材同士の距離感など等しくなくても気にせず作り進めなければ、いつになっても誰も味噌汁を飲むことが出来ますまい。
これらなどは半ば冗談のように聞こえますが、一方でわたくしたちは、殊更「他者」との関わりのなかでは「どうにもならないこと」を気にしてしまう性があるのでございますね。
お料理は「物」との関わりですから諦めもつき程よく大雑把になれるのですが、「他者」というのは自分と同じ「人間」ですからね。割り切れないのです。なぜかというと、思い通りに(思考に基づいて)生きていると思い込んでいるからです。
こんなに思い通りにならず苦労をしているのに、わたくしたちは思い通りになる(思考で生きている)と盲信している。おかしいですよね。
それゆえ、他者に対しても、自己に対しても、「思い」を変えたら良いではないか、そんな「思い」はおかしいではないか、とそんな自分勝手なことを❝思う❞。
ですが、真実はそうではないのです。実際には、何かを思おうとして思っていることなど、生まれてこの方一度たりとも無いのです。
思い、思考や感情も、「自力(自分でやっていること)」のような❝実感❞があるばかりで、実のところは、「他力」というとてつもなく大きくこまやかな生命のはたらきのなかで自然発生的に❝起こっている❞。
だとすれば、いかがでしょう。もとより思い通りにならないもの、「どうにもならないこと」を気にしていても仕方ないではありませんか。程よく諦めをつけて、その時その時出来ることばかりを進めていけば良いのではないでしょうか。

それが「淡々と…」ということではなかったでしょうか。

そわか合掌

2025年8月13日 7:41
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有り難し
おきもち

仏道修行という、いつまでも終わらない愉快な旅の最中に、こうしていささかも御縁のある皆さまと、旅のなかで得られたもの(仏法)を分かち合い、喜び合えますこと、大変ありがたく、嬉しく、一つ一つよき御縁に感謝しております。今後とも、よろしくお願いいたします。そわか合掌 ※思う間もなく唐突に安居(あんご:修行に集中する期間)に入ってしまう時などもあり、あまり沢山の回答は出来ないかもしれません。しかしその代わり、ご回答出来る時には全身全霊を尽くし、お心で仏法を感じていただけるよう言葉を紡がせていただきます(*^^*)
どのようなお悩み事でも、安心して打ち明けてくださいませ。説教臭いことを申したりは致しません。すべて、あるがまま受け止めさせて頂きます。いつでもお気軽にご相談ください。

心穏やかに一つ一つに向き合って下さいね

拝読させて頂きました。
御担当の医師から「淡々と生きる、淡々と行うことが大切」と言われたのですね。あなたがそのお言葉をどう考えればいいのかと思っているのですね。あなたのそのお気持ちなんとなくわかるように感じます。
そうですね、淡々と生きるとは、簡単なようでなかなか難しいのかもしれません。人間は感情がありますからその喜怒哀楽を収めて生きることはそう簡単ではないかもしれません。
とはいえ何に対しても常に喜怒哀楽の感情の起伏ばかりで生きていては疲れ果ててしまうでしょう。そして感情の赴くままに対応していたら本当に正しいことが何なのか、何を大切にして生きていけばいいのかもわからなくなってしまうかとも思います。
人間なので多少の感情の起伏もあるでしょうし、表情もあるかと思います。できれば毎日を心穏やかに健やかに生きていくことが大切かと思います。
特に怒りや憎しみの感情はあまり持たずに感謝の気持ちを持って他者に接していけばいいのではないかと思います。
仕事についても感情的にならずに落ち着いて冷静に一つ一つのことに向き合いこなしていくことが結果的に早く業務を遂行できるコツですからね。一つ一つの業務に対して粛々と淡々と落ち着いて行っていきましょう。

あなたがこれからの日々を心穏やかに安心して過ごすことができます様に、お仕事も落ち着いてしっかりとこなしていくことができます様に、皆さんと助け合いながら健やかに毎日を生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させ頂きます。

2025年8月12日 12:00
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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