現実との折り合い
こんにちは
私は長く躁鬱病を患い、頭の中のリアリティも害もある想像の会話が止まらず苦しんで来ました。
昨今のマインドフルネスの普及から仏陀が仰ったことに興味を持っているのですが、
確かにマインドフルネスで今ここのあるがままを観察していると、心はただ離散集合しているだけの実体の無いものだし、執着するのではなくこのようにただ現象を観察することで過去や未来からも切り離されて楽になれるな、ということが実感としてわかります。
ただ現実で仕事をしていると、ある意味自己実現という幻想で駆動して物事にとことん執着し、過去と未来に執着し、ただでさえ認知的幻影である世界にさらに消費という幻影を作ってゆく作業だと思うので、いくらでもストレスが湧いて出てきます。
心は実体のないものだから執着したりすることはないんだ、と思えることで精神疾患的にはとても良いと思うのですが、仕事をして生きていくことを考えるとマッチポンプ状態で、この二つは折り合いがつくのかな? と思うのですが、仏陀はどう考えていたのでしょうか?
それとも、元々が、出家してない人間には向いてない考え方なのでしょうか。
どうやって「現実世界で生きること」と元々の仏陀の教えたことと折り合いをつけるのか(そしてそれで苦から放たれるのか)知りたいです。
なるべくおおもとのエッセンスが知りたいです。
浅い知識で質問しているため誤解に基づいて書いてるところも多々あると思いますがよろしくお願いします。
質問者からのお礼
柳原様
ありがとうございます。仏陀の時代から凡夫向けの分かりやすいルールも説かれていたんですね。もうちょっと後代にできた「悪いことしたら極楽に行けないんじゃぞ」的にお爺さんの言うことに痕跡的に残った道徳的な話くらいに思っていたのですが、これも一つの方法論なんですね。
生まれ変わりというと現代に生きる身としては受け入れにくい発想ですが、何となくあらゆる瞬間毎に輪廻というか流転しているのだろうな、という感じや、六道って現実の事なんだろうなあという感じもあるので、仰ったことについて向き合ってみます。
どうもありがとうございました。