一期一会とは、何なのでしょうか?
人生の出会いと別れ・一期一会を考えさせられます。
昔の同級生、恩師、道を尋ねた女性、ロシア人の先生、お寺で見ず知らずの私に挨拶して下さったお坊さん、手助けしたおばあちゃん、ネットでお取引した男性、死んだおばあちゃん・おじいちゃん。知った仲の人から、名前も素性も顔も知らない人まで、人生で出会ったたくさんの人の事を ふとした時に思い出します。
なんていうんでしょう。どの方も 思い出すと心がぽかぽかするんです。でも同時に、もう会えなくて なんとも言えない、心にぽっかり穴が空いた気分になります。
寂しい悲しい、でも穏やかな気持ちもあって、恋愛感情じゃない、愛?というか好きだ!って気持ちがあって、もっとその人の事を知りたかったし、一緒に居たかったんだと思います。
この気持ちに気付いたのは1年程前です。この時、初めて「一期一会」という言葉の意味を理解しました。
でも、別れの心の整理が出来ません。
どのような心持ちで 人と出会い、別れれば良いのでしょうか?
なぜ、一期一会はあるのでしょうか?
出来ることなら別れたくない、もっと勇気を出して話ていれば良かった。と後悔するのは間違いなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
有縁無縁の皆の幸せを思えるように
そら様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
拙生自身も、誠に思い当たるところがございます。
「一期一会」・・人との出逢いにおいては、それぞれ誠意、真心をできるだけ尽くせるように努めて参りたいものであります。
しかし、こちらが尽くすことに努力しても、相手もそれだけ答えてくれるかどうかは、正直、そうも言えないところでございます。
それでも、ご縁というものは、やはり大切なもの。例えば・・
人生を80年として、世界人口約72億人の中で、人が一生で出会う人の数は、
何らかの接点を持つ人 30,000人
同じ学校や職場、近所の人 3,000人
親しく会話を持つ人 300人
友人と呼べる人 30人
親友と呼べる人 3人
何らかの接点を持つ人と出会う確率は1/240000(24万分の1)
同じ学校や職場、近所の人と出会う確率は1/2400000(240万分の1)
親しく会話を持つ人と出会う確率は1/24000000(2千400万分の1)
友人と呼べる人と出会う確率は1/240000000(2億4000万分の1)
親友と呼べる人と出会う確率は1/2400000000(24億分の1)
と言われています。
できれば、全てのご縁を人生の糧として大切にして参りたいものであります。
そして、「別れ」というものは、もちろん辛いものでありますが、拙生は、何も縁のある皆が、今世一度きりで全てが「無」になるとは思っていません。
また、今世での「縁」によっては、来世、来来世でも縁があり、会えることもあると考えております。
また、仏教においては、縁のない方であっても、有縁無縁の皆が、やがて悟りへと至れますようにとして、皆に思いを向けて参りたいところにもなります。
有縁無縁の皆の幸せを思えるように、是非、仏教を実践して頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
得難きは時、会い難きは友
拝読させて頂きました。
そう思うと悲しくなってしまいますよね。
私もそう思います。
旅先で出会った様々なものごとや人々のことを思うともう二度と会えないのではないかと確信に満ちた思いにかられます。
やはり人生は旅そのものなのかもしれませんね。
方丈記にあるように
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし…」ですね。
ですからその一度一度の出会いは「得難きは時、会い難きは友」なのですね。
どうかこれからのあなたの人生も一つ一つの出会いを大切になさってください。
そしてもしよければこの仏教に出会いたことも有難き事となさってください。
あなたがこれからの人生を素晴らしい出会いとご縁に恵まれて豊かな毎日を送っていただきます様心よりお祈り申し上げます。
再度拝読させて頂きました。
そうですね、ぜひそのお友達にお手紙書いてみてくださいね。きっとこれからも素晴らしいご縁を結んでいかれることでしょうからね。
私も昔ニューヨークに行った時にリンカーンセンターで隣り合わせのご夫婦と仲良くなりました。そのご夫婦はニューヨークの教会の牧師さんでした。そして泊まるところのない私を快く受け入れてくださり何週間も住まわせてくださいました。そのご夫婦はもう天国に召されましたがそのご夫婦とのご縁はいつもつながっていますね。
どうかこれからも大切なかけがえのない方々とのご縁を感じながら豊かなの毎日をお過ごし下さいね。
会者定離と申します
読まさせていただきました。
一期一会の意味をあじわわられ良かったですね。
その気持ちでいろいろな人に会ってくださいね。
ただ別れがつらいとのこと。仏教の言葉に、
会者定離(えしゃじょうり 会う者は別れる定め)というのがあるのです。
これは定めだからどうしようもないのですね。
質問者からのお礼
鈍阿さん
夜も遅い中、ご回答下さり、誠にありがとうございます。
一期一会という事は、人生の中でとても大切な事の様な気がします。それに気付けて本当に良かったと思います。
会者定離、初めて耳にしました。離れてしまう定めだからこそ、一つの出会いがいかに素晴らしいか 身に沁みます。もう一度会うことは叶わなくても、相手を想いやる事は、素敵な事なのかもしれませんね。
今までの出会いは胸に大切にしまって、新しい出会いを大切にしていこうと思います。
鈍阿さんとの出会いも、とっても有り難いご縁です。なんだかとても穏やかな気持ちになれました。もう別れで悲しむ事はなくなりそうです。
お話は逸れてしまうのですが、プロフィールのお写真は托鉢されてる時のご様子でしょうか。
拝見した時、もし托鉢なさってるお坊さんに会ったらどうしたらいいんだろうと思い、調べてみたのですが、仏教とは とても素晴らしいです。感銘を受けました。お布施は与えるだけの一方通行ではなく、お布施をした側にこそ、与えられるものがあるのですね。寄付やお布施をする時の心持ちが変わりました。
長くなってしまいましたが、とても良いご縁を下さり、本当にありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azumaさん
お礼が遅れてしまい、ごめんなさい。
お忙しい中、ご回答下さり、誠にありがとうございます。
また、先日のご回答ありがとうございました。おかげさまで、穏やかな気持ちになれました。
旅かもしれませんね。もう会えないと思っていても、また会えるのも、また旅ですね。なるだけ、広く旅をしたいです。宗教や人種や年齢関係なく、多くの人と出会いたいです。
ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しく留まりたるためしなし。綺麗なお言葉ですね。初めて耳にしました。
離れてしまうからこそ、もう会えなくても相手を想う事が大切だと思いました。とても満たされた気持ちになれます。
仏教に出会えて良かったと思います。素敵な考え方ができます。違う宗教を信仰していても、仏教の考え方を知ってくれれば、世界はもっと平和で、分かり合う事ができるのかもしれませんね。
お話が逸れますが、私、去年のクリスマスにアメリカへ留学したのですが、そこで仏教徒のアメリカ人の男性がいらっしゃるお家でホームステイをしました。その時は仏教とあまり関わりがありませんでしたが、その方は私に英語をもっと頑張って欲しいから、英語の教科書をくれたり、君と出会えて本当に良かったとおっしゃってくれたんです。
今、その事をふと思い出しました。留学した頃は英語が全く駄目駄目で、お礼のお手紙も一人ではちゃんと書けず、友人と同名で出しました。それがなんだかモヤモヤしていましたが、もう一度ちゃんとお手紙書こうと思います。日本のお寺のお守りを送れば喜んで頂けるかもしれませんよね。
全く違う話になりましたが、今までの出会いも大切にしようと思います。まだ繋がりを保てる人には、大きな心で大切にしようと思います。これからの出会いも大切にします。一つ一つ感謝しつつ、出会っていきたいと思います!
長くなってしまいましたが、素敵なご縁を本当にありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azumaさんにも、多くの素敵なご縁と出会い、素晴らしい未来がありますように。
川口英俊さん
お礼が遅れてしまい、ごめんなさい。
お忙しい中、ご回答頂き、誠にありがとうございます。
たったそれだけの人としか出会えないなんて、正直驚きです。この出会いもその内の一つということなのですね。
誠心誠意接しても応えてくれない事は多々あります。その度に傷付いて、人なんてロクでもない!と思います。それでも人の事が好きです。面倒くさいですね。いちいち躓かないようにしたいです。本来なら全ての人を愛せたらそれが1番良いと思いますが、1番それが難しいです。
有縁無縁に関わらず、全ての人の幸せを祈る。とても素敵な行為です。でも、まだ私には、全ての人の幸せを祈る ということは難しいです。どうしても相手の性格の 好き嫌いが先行してしまいます。まだまだ未熟という事ですね。
仏教をもっと深く知りたいです。私の悩みのヒントがありそうだなと感じます。
ご縁に感謝、合掌。