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一期一会とは、何なのでしょうか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 18

人生の出会いと別れ・一期一会を考えさせられます。

昔の同級生、恩師、道を尋ねた女性、ロシア人の先生、お寺で見ず知らずの私に挨拶して下さったお坊さん、手助けしたおばあちゃん、ネットでお取引した男性、死んだおばあちゃん・おじいちゃん。知った仲の人から、名前も素性も顔も知らない人まで、人生で出会ったたくさんの人の事を ふとした時に思い出します。

なんていうんでしょう。どの方も 思い出すと心がぽかぽかするんです。でも同時に、もう会えなくて なんとも言えない、心にぽっかり穴が空いた気分になります。

寂しい悲しい、でも穏やかな気持ちもあって、恋愛感情じゃない、愛?というか好きだ!って気持ちがあって、もっとその人の事を知りたかったし、一緒に居たかったんだと思います。

この気持ちに気付いたのは1年程前です。この時、初めて「一期一会」という言葉の意味を理解しました。

でも、別れの心の整理が出来ません。

どのような心持ちで 人と出会い、別れれば良いのでしょうか?

なぜ、一期一会はあるのでしょうか?

出来ることなら別れたくない、もっと勇気を出して話ていれば良かった。と後悔するのは間違いなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

有縁無縁の皆の幸せを思えるように

そら様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生自身も、誠に思い当たるところがございます。

「一期一会」・・人との出逢いにおいては、それぞれ誠意、真心をできるだけ尽くせるように努めて参りたいものであります。

しかし、こちらが尽くすことに努力しても、相手もそれだけ答えてくれるかどうかは、正直、そうも言えないところでございます。

それでも、ご縁というものは、やはり大切なもの。例えば・・

人生を80年として、世界人口約72億人の中で、人が一生で出会う人の数は、

何らかの接点を持つ人 30,000人
同じ学校や職場、近所の人  3,000人
親しく会話を持つ人 300人
友人と呼べる人 30人
親友と呼べる人 3人

何らかの接点を持つ人と出会う確率は1/240000(24万分の1)
同じ学校や職場、近所の人と出会う確率は1/2400000(240万分の1)
親しく会話を持つ人と出会う確率は1/24000000(2千400万分の1)
友人と呼べる人と出会う確率は1/240000000(2億4000万分の1)
親友と呼べる人と出会う確率は1/2400000000(24億分の1)

と言われています。

できれば、全てのご縁を人生の糧として大切にして参りたいものであります。

そして、「別れ」というものは、もちろん辛いものでありますが、拙生は、何も縁のある皆が、今世一度きりで全てが「無」になるとは思っていません。

また、今世での「縁」によっては、来世、来来世でも縁があり、会えることもあると考えております。

また、仏教においては、縁のない方であっても、有縁無縁の皆が、やがて悟りへと至れますようにとして、皆に思いを向けて参りたいところにもなります。

有縁無縁の皆の幸せを思えるように、是非、仏教を実践して頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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得難きは時、会い難きは友

拝読させて頂きました。
そう思うと悲しくなってしまいますよね。
私もそう思います。
旅先で出会った様々なものごとや人々のことを思うともう二度と会えないのではないかと確信に満ちた思いにかられます。
やはり人生は旅そのものなのかもしれませんね。
方丈記にあるように
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし…」ですね。
ですからその一度一度の出会いは「得難きは時、会い難きは友」なのですね。

どうかこれからのあなたの人生も一つ一つの出会いを大切になさってください。

そしてもしよければこの仏教に出会いたことも有難き事となさってください。

あなたがこれからの人生を素晴らしい出会いとご縁に恵まれて豊かな毎日を送っていただきます様心よりお祈り申し上げます。

再度拝読させて頂きました。
そうですね、ぜひそのお友達にお手紙書いてみてくださいね。きっとこれからも素晴らしいご縁を結んでいかれることでしょうからね。
私も昔ニューヨークに行った時にリンカーンセンターで隣り合わせのご夫婦と仲良くなりました。そのご夫婦はニューヨークの教会の牧師さんでした。そして泊まるところのない私を快く受け入れてくださり何週間も住まわせてくださいました。そのご夫婦はもう天国に召されましたがそのご夫婦とのご縁はいつもつながっていますね。
どうかこれからも大切なかけがえのない方々とのご縁を感じながら豊かなの毎日をお過ごし下さいね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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会者定離と申します

読まさせていただきました。
一期一会の意味をあじわわられ良かったですね。
その気持ちでいろいろな人に会ってくださいね。
ただ別れがつらいとのこと。仏教の言葉に、
会者定離(えしゃじょうり 会う者は別れる定め)というのがあるのです。
これは定めだからどうしようもないのですね。

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有り難し
おきもち

浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
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質問者からのお礼

鈍阿さん

夜も遅い中、ご回答下さり、誠にありがとうございます。
一期一会という事は、人生の中でとても大切な事の様な気がします。それに気付けて本当に良かったと思います。
会者定離、初めて耳にしました。離れてしまう定めだからこそ、一つの出会いがいかに素晴らしいか 身に沁みます。もう一度会うことは叶わなくても、相手を想いやる事は、素敵な事なのかもしれませんね。
今までの出会いは胸に大切にしまって、新しい出会いを大切にしていこうと思います。
鈍阿さんとの出会いも、とっても有り難いご縁です。なんだかとても穏やかな気持ちになれました。もう別れで悲しむ事はなくなりそうです。

お話は逸れてしまうのですが、プロフィールのお写真は托鉢されてる時のご様子でしょうか。
拝見した時、もし托鉢なさってるお坊さんに会ったらどうしたらいいんだろうと思い、調べてみたのですが、仏教とは とても素晴らしいです。感銘を受けました。お布施は与えるだけの一方通行ではなく、お布施をした側にこそ、与えられるものがあるのですね。寄付やお布施をする時の心持ちが変わりました。

長くなってしまいましたが、とても良いご縁を下さり、本当にありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azumaさん

お礼が遅れてしまい、ごめんなさい。
お忙しい中、ご回答下さり、誠にありがとうございます。
また、先日のご回答ありがとうございました。おかげさまで、穏やかな気持ちになれました。

旅かもしれませんね。もう会えないと思っていても、また会えるのも、また旅ですね。なるだけ、広く旅をしたいです。宗教や人種や年齢関係なく、多くの人と出会いたいです。
ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しく留まりたるためしなし。綺麗なお言葉ですね。初めて耳にしました。
離れてしまうからこそ、もう会えなくても相手を想う事が大切だと思いました。とても満たされた気持ちになれます。

仏教に出会えて良かったと思います。素敵な考え方ができます。違う宗教を信仰していても、仏教の考え方を知ってくれれば、世界はもっと平和で、分かり合う事ができるのかもしれませんね。

お話が逸れますが、私、去年のクリスマスにアメリカへ留学したのですが、そこで仏教徒のアメリカ人の男性がいらっしゃるお家でホームステイをしました。その時は仏教とあまり関わりがありませんでしたが、その方は私に英語をもっと頑張って欲しいから、英語の教科書をくれたり、君と出会えて本当に良かったとおっしゃってくれたんです。
今、その事をふと思い出しました。留学した頃は英語が全く駄目駄目で、お礼のお手紙も一人ではちゃんと書けず、友人と同名で出しました。それがなんだかモヤモヤしていましたが、もう一度ちゃんとお手紙書こうと思います。日本のお寺のお守りを送れば喜んで頂けるかもしれませんよね。

全く違う話になりましたが、今までの出会いも大切にしようと思います。まだ繋がりを保てる人には、大きな心で大切にしようと思います。これからの出会いも大切にします。一つ一つ感謝しつつ、出会っていきたいと思います!

長くなってしまいましたが、素敵なご縁を本当にありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azumaさんにも、多くの素敵なご縁と出会い、素晴らしい未来がありますように。

川口英俊さん

お礼が遅れてしまい、ごめんなさい。
お忙しい中、ご回答頂き、誠にありがとうございます。

たったそれだけの人としか出会えないなんて、正直驚きです。この出会いもその内の一つということなのですね。

誠心誠意接しても応えてくれない事は多々あります。その度に傷付いて、人なんてロクでもない!と思います。それでも人の事が好きです。面倒くさいですね。いちいち躓かないようにしたいです。本来なら全ての人を愛せたらそれが1番良いと思いますが、1番それが難しいです。

有縁無縁に関わらず、全ての人の幸せを祈る。とても素敵な行為です。でも、まだ私には、全ての人の幸せを祈る ということは難しいです。どうしても相手の性格の 好き嫌いが先行してしまいます。まだまだ未熟という事ですね。

仏教をもっと深く知りたいです。私の悩みのヒントがありそうだなと感じます。

ご縁に感謝、合掌。

「縁とは・縁をつなぐ」問答一覧

「縁」について仏教的な解釈を知りたい

※「運命」カテゴリかもしれませんが、人間関係カテゴリにて投稿いたします。 当方、30代女性です。 「縁とはなにか」について考えを巡らす体験があったので、ぜひ仏教的な解釈でお言葉をいただきたいです。 ーーーーー 元同僚の男性と、たまたま2人で食事する機会があり、個人的に仲良くなりました。 初対面の頃から「この人とは仲良くなりそう」と直感し、仕事でも相性が良かったのですが、 プライベート面でも驚くほどたくさんの共通点(趣味嗜好、ゆかりのある土地など)があり、声も雰囲気も居心地が良く、縁のある人だと勝手に感じていました。 ただ、電話もLINEもよくするのにタイミングがすれ違うことばかりで、なかなか会うことができなかった。 (約束をしてもコロナにかかって会えなかったり) そうしてる間に彼には別の想い人(偶然再会した元恋人)があらわれ、 「好意はあるけどこれ以上親密にはなれない」とふられました。 一応両思いだったのに、交際には至りませんでした。縁があるのかないのかよくわかりません。 身内や友人含め、出会ったすべての人の中で一番共通点の多い方でした。 そう思っているのは私だけかもしれませんが、前世の繋がりがあったのでは、と、スピリチュアルなことを考えていしまいました。 彼がたまたま再会した元恋人も、これまた縁によるものだろうと思っています。 彼には幸せになってほしいと思いますし縋ることはしませんが、 こんなにも共通点が多い人にはもう出会えないと思うので、もし彼と縁があればまた会えると言い聞かせてしまい、未練に酔って前に進めずにいる自分にため息が出ます。 縁の力には逆らえないものでしょうか。

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お世話になります。 宜しくお願いします。 今回は、古くからの友人に対する違和感についてご相談したく、ご連絡しました。 私は去年の春に適応障害を患い、約半年間の療養を経て今に至ります。来月からは次の仕事が控えており、これらの出来事は、私の人生史上で最も大きな影響を自らに及ぼしたかと思います。 こうした環境下で、自らの思考や感性、行動が、それ以前と比べてかなり変化しました。その変化は、まさしく成長と呼ぶに相応しいと自認しています。 しかしながら、ここで問題が生じます。古くからの友人との会話に違和感を感じ始めたのです。今まで感じていなかった相手の短所、価値観の不一致などがふつふつと湧いており、今までフタをして閉じてきたものが、溢れてしまいそうです。変わってしまった自分を悲しく思うも、それが自分の成長の証であるかのように考える自分がいることも事実です。 ただ、そんな自分を肯定しようとするも、そうなってしまったのは自分が不寛容だからでは?ただの完璧主義なのでは?相手を許すべきなのでは?相手を見下しているのでは?古くからの縁を大切にすることは徳を積むことなのでは?などと、自分自身を責めることもあります。 一体私は、こうした変化をどのように受け止めればいいのでしょうか。今の私は、善悪で言うところの悪なのでしょうか。 ご教示頂ければ幸甚です。 何卒宜しくお願い致します。

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同じ悪縁が巡ってきました

ご縁についての質問です。 今働いている会社を思いがけず退職することになり、以前働いていたA社に復帰することになりました。 辞めた当時はA社に不満があったのですが、色々な職場を経験したことで、その会社の良さに気付くことができたからです。 親しい人も居るし、どうやら歓迎してもらえているようだったので、有り難かったです。 ところが、問題が起こりました。 私と同時期に、知人もA社に就職することが決まったのです。 ややこしいのですが、知人の沢口さん(便宜上の仮名です)は私と同じくA社の元社員で、私とは別のB社で知り合いました。 時系列でいうと、 沢口さんがA社を退職後に何度か転職をしてB社へ入社。 私はB社で沢口さんと知り合い、A社を勧められてA社に転職。 その後私もA社を離職。 という流れです。 B社では、沢口さんが人間関係のトラブルを起こしていたことは知っていましたが、沢口さんとB社がミスマッチだったのだろうと思っていました。 ところがA社へ入社後、沢口さんがA社でもトラブルを起こしていたことを知りました。 詳しい経緯を書くと収まらないので省略しますが、私自身もその後、沢口さんとトラブルになりました。 それ以来、着信拒否をするなどして連絡を断っていました。共通の友人もいないので、沢口さんがどうしていたかは不明でした。 しかし、沢口さんがいそうな地域や場所には近付かないようにするほど、二度と関わりたくないと思っていました。 A社は移動や入れ替わりが多く、沢口さんがいた当時を知る人は既にほとんどいないようです。 元々お互いA社に縁があったとはいえ、同じタイミングで再び入社することになるなんて…と驚いています。 正直、A社に入社することは諦めようかと思っています。 おそらく、精神的に持たないと思うからです。 ですが、沢口さんがまたトラブルを起こすのは分かりきっているし、私の方が周囲とうまくやっていけると思うので、何だかなぁと割り切れない思いでいます。 一度切れたと思っていた悪縁が再び巡ってきた時、それをどのように捉えればいいでしょうか? 悪縁とはいえ、それを少しでも前向きに捉えて、この先のことを決められたらと考えています。 アドバイスよろしくお願いします。

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縁は切りたくない。連絡して良いものか。

初めて相談させて頂きます。大学生です。 私には「友達に戻りたい」と言われ別れた元彼女がいます。その人と友達に戻りたいのです。 2ヶ月の交際期間でした。別れを告げられた際、私は本気で相手を好きでいました。だからこそ、本音を押さえ、相手の要望を受け入れました。 しかし今、私は相手と絶縁状態になりました。彼女が私を徹底して避けています。別れた後話す事も、校内で会っても挨拶も一度もありません。半年以上この状態です。 「最後の最後に嘘をつかれた」と私はかなりショックを受けました。正直「友達になるが疎遠にはならない」と僅かに希望を感じていました。故にショックも大きかったのです。 別れの原因は全て私です。相手の意思や気持ちを上手く理解してあげられなかった。だから絶縁されても当然だとは思います。 でも顔を見かけたり、バッタリ会った時の「別れる際の言葉」と「現実」のギャップがずっとずっと苦しいのです。それでもいつか「友達」になれるのではと期待してしまって。「この拒絶も相手の望み」と耐えてきました。でも正直もう疲れました。 私は相手を人として心から尊敬しています。本当は縁を繋いでいたい。無理なら無理でそれでいい。真実を知る為にも連絡したいと思っています。でもこれはあまりに自分勝手な行動です。楽になりたいと言う思いもあります。正直はばかってしまって…。 相手の気持ちを考えていない行いなのは分かっています。それでも、私は連絡してもいいでしょうか。

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何をしても縁が繋がりません

私は43歳の男です。 現在まで異性と付き合った事がありませんし、友人ももう10年近くいません。 まずは友人からとボランティア参加や趣味のコスプレイベントにも参加して挨拶をしたりと精力的に行動しましたが、繋がれませんでした。 またSNSでも自分の趣味や食べ物などを投稿しても誰からも反応はもらえず、こちらからリアクションしても誰にも反応を返してもらえずにいまして、孤独を打ち破れません。 こんな事をしてる内に自分は心筋梗塞や腫瘍などの大病をし、また精神障害も分かり見も心もぼろぼろになり、更には障害者雇用も打ち切られ今よりも貧乏になり、余計に異性と繋がりなど持てない人間になります。 しかし世の中を見れば色々な人間がいて良い面も悪い面もあるはずなのに、家族やカップルで暮らしています。 なぜ私はここまで誰にも相手にされないのか…?嫌われるのか…?孤独なのか…? と辛いです。 やはり障害持ちや社会で底辺の人間だから孤独に生きるべきなのでしょうか? もう1人で頑張ることに疲れました。よく書籍やインターネット記事で「孤独を楽しみなさい。慣れなさい。死ぬまで孤独」など目にしますが、そんな境地にはいけません。 諦めて孤独死するしか私にはない運命なのでしょうか?

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正反対のご縁

長年連れ添ってくれた身内、パートナーのことを外や陰で悪く言うことは差し控えたいところですが、相談員の方から「あなたの心と体が壊れる前に、離婚に向けて、具体的に相談に乗ってくれる機関を頼ってほしい」と助言を受けました。 職場を通じて知り合った、再婚経験者、シングル・初婚のまま伴侶と共に子育てを終えつつある先輩方(同性・異性どちらも)から、本当に優しく有難い共感やアドバイスを毎日のようにいただいています。 ぽつんと離活をしたい、と言葉にした時「まだだったの?こんなに外で働いてるってことは、てっきりもうしてるのかと…」と笑顔で返され 素のままの自分の本音を出せた清々しさと同時に、胸の奥に突き刺さった杭を抜くように夫に、ごめんね、と心の底からお詫びしました。 そして、辛い私を支えてくれる存在もいます。感謝と共に、もし「縁切り後に自分と共に」と周りからも追い風を受けるような雰囲気ならば、そのまま寄り添いたいです。 その人は私にとって 私を心から大切にしてくれる人。 仕事仲間を大切にする人。 そして仕事仲間から、大切にされる人。 控えめかつ、信念のある人。 仕事仲間をリードし、いざという時に頼られる人。 一生懸命な人。 私の至らぬところを心広く許し、気持ちを楽にしてくれて、弱さをわかってくれる人。 安定した人、器量のある人。 私の困った時、弱った時に、何とか解決しようとアドバイスをくれる人。 すぐに謝罪のできる人、リカバリー・信頼回復のために「次はこうします」と約束できる人。 繊細で、明るく、ポジティブに努力する人。 相手の良いことには良いと共感し、時には励ます人。 また一方で相手の悪い面には反応せず目をつぶり冷静に受け流したり、黙って見過ごすことで私に振り返る機会を与えてくれる人。 お寺の言葉=謙虚さや、思いやり、精進、尊敬、感謝が自然と出てくる人。 私の大切に思うことを、同じく大切にしてくれる人。 幸せとは何か、の価値観が一致しそうな人。 私の全部を知ることは無理でも、わかろうと誠実に向き合ってくれる人。 いただきものを独占せず、みんなにシェアしようと瞬時に判断できる人。 責任感のある人。 知らないことは素直に、知らなかったと言える人。 落ち込むことがあっても、仲間に支えられ、すぐに立ち直り、清々しく前進・成長している人。 とても、有り難く支えていきたい一人です。

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