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嫌いにならない

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私は普段から人を「嫌いにならない」と決めています。
嫌い、と思ってしまうと同じ空間にいる事すら嫌になってしまうからです。
だから、「苦手」「私の今後の人生に必要ない人」「こういう人もいるのだという勉強」など、
そういう風に思うようにしています。なるべく顔に出さないようにしていますが、そう感じてしまう相手を前にすると、目を合わせたくなくて…

こんな私は、最近、新しい人間関係を作る事がおっくうだと思い始めています。そして、仲良しの人とすら頻繁に連絡もとらなくなり始めています。
ただ、仕事柄、子育て関係の仕事に就いていますので、仕事の同僚や、子供、保護者との関わりがあります。でも、それ以外、面倒だと思ってしまい、更に、少ない同僚の中にいわゆる「苦手」だと感じてしまっている人がいます。

その人は、話し合っている時など、必ず周りの意見を否定してから話ます。自分が何でもしっている的な言い方、自分が正しい、高圧的、その人にはマイナスオーラばかり感じてしまって…四月に今の職場に異動になったのですが、去年まで楽しかった仕事が楽しいと思えなくなっています。

私は逃げているのでしょうか?私のわがままでしょうか?
自分がどんどんネガティブになっていっている気がします。
何かお言葉をいただけると幸いでございます。
よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「場」の力

いますよ苦手な人って。でも私はあえて「嫌いにならない」とは考えないですね。それって逆にとらわれてしまうような気もしたり…。

さて、「新しい人間関係を作る事がおっくう」とのこと。おそらくほとんどの人がそうかと思います。

だって一人の方が楽ですもの。

でもそれだけじゃあ何だか寂しい、空しい、満たされない。だから何かしらの「場」を求めるのでしょう。自分の「居場所」と言ってもいいかもしれませんね。
そこで特別に懇意な人間関係ができるかどうかは縁次第。別に無理してあえて人間関係を作ろうとする必要もない気がします。

私は頻繁に連絡をとるような関係の人はいません。でも私が一方的にかもしれませんが友人・仲間だと思っている人はいます。その人たちは私が普段の生活で踏み入れる「場」にはいません。遠く離れた地に入る方がほとんどで連絡も数年とっていない人がほとんです。

でもその存在がいるということ、そして何らかの「場」があるということ、それは私に生きる力をくれます。

「仕事の同僚や、子供、保護者」

これらはあなたにとっての「場」でしょう。そこでの人間関係は好ましく感じるものもあれば苦手でしんどく感じるものもあるでしょうし、それらは人によって決まっているわけでもなく、同じ人でも良く感じる時もあればそうでない時もあることでしょう。

それでいいのではないでしょうか。その「場」において他者と交わる。そこから一歩先の関係まで作ろうとしなくとも、それが逃げているなどとは思いません。

「場」において他者と関わる事、それだけでけっこうエネルギーを使います。

でも不思議な事に、その「場」が一つもなくなると、人間は孤独に陥り生きる力がそこなわれます。

楽だけど空しい、しんどいけど何か満たされる

そういうことがあるのです。嫌いな人は嫌いなままでも、苦手な人は苦手なままでも、何らかの「場」に足を運ぶこと。自分だけの世界には閉じこもらない事、それが大事なのではないでしょうか。

そのどうしても合わなそうな人にとらわれてその「場」に足を運ぶことがあまりにもしんどいのなら、「場」は一つではありませんので無理をすることもないと思いますよ。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

きにしない

読まさせていただきました。

人に対して嫌いとはねのけるのではなく苦手なだけなのだと割り切ることは立派な心掛けですが時に苦手な人も好きにならなくてはならなくなったりして心苦しくなってしまいます。

昔一休さんという仏教アニメがありました。その主題歌を思い出しました。「きにしない」
ことがいちばんですよ。「わからんちんどもとっちめちん」です。

苦手な人のことは意識すれば意識するほど、心身が固くなって、逆効果なものですよ。

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浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)、その後宗門大学(浄土宗の僧侶養成機関)である大正大学佛教学部で学び加行(住職修行)を得るための修行)を受け浄土宗教師(浄土宗の正式なお坊さんとしての、住職資格)を取った後、某寺に入寺、京都の大本山黒谷金戎光明寺内にある浄土宗教師修練道場(浄土宗教師が更に1年間研鑽を務める場)にて1年間修行研鑽、その後も研鑽を続け、教学(浄土宗を中心とした仏教の教え)・法式(お経のあげ方・儀礼)・詠唱(ご詠歌・和讃)・布教(教えの伝え方)・雅楽の研鑽を積んでいます。 がしかし、もともと小学校時代から精神疾患で、大学で精神科初診、20代は通院しながら、学業・修行・僧職を勤めていましたが、30代で仕事と結婚のストレスがさらにかかり、大きく心身の体調を崩して入院して以来、寺は休職しています。そして、今は寺を離れ草庵に暮らしています。 2003年に大きく体調を崩して、入院以来入退院を23回繰り返しています。40代過ぎから、徐々に精神的に安定し、50代手前の最近少しバイトが出来るようになりました。デイケア、障害者職業訓練、B型就労支援事業所とステップアップし、単発派遣から初めて、バイトで、2社に勤めて、体調悪化で入院してこの2社をやめて、今は3社目のアルバイトをしています。その中で得られた人間的成長の気づきもフィードバックしていきたいと思います。 精神障害2級の統合失調症・双極性障害・不眠症持ちです。 こんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 連絡先は、blister55.takahiro@gmail.com
対応できる時間は昼間です。音声のみにてお願いいたします。体調などにより対応できない場合もあります。専門分野は精神疾患・恋愛・人生・仕事・浄土教などです。よろしくお願いします。

質問者からのお礼

法覚寺 吉武文法 様
お忙しい中、ご丁寧にお言葉を頂きまして、本当にありがとうございます。
「場」という言葉になぜかとてもスッとしました。自分の世界に閉じこもらない事。本当ですね。無理しない程度にいろんな「場」を経験したいと思います。
ありがとうございましたm(_ _)m

鈍阿 様
お言葉、本当にありがとうございます!
本当にその通りだなと素直に思いました。
苦手だとくくってしまった時点で、もうある意味きになる人になってしまっているんですよね。

気にしない心がけ、頑張ってみます。
本当にありがとうございましたm(_ _)m

佛向寺 鈍阿 様

お礼が大変遅くなり申し訳ございません。
たしかに、仰る通り、気にしすぎて気持ちが固くなっている気がします。一休さん、好きでした。
きにしない そうですね!そうなりたいと思いました。

ありがとうございました。

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