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劣等感との付き合い方

回答数回答 1
有り難し有り難し 38

幼いころ強く劣等感を感じた経験以来、
極力「劣等感を感じてしまいそうな状況」を
避けるようにしてきたため、その対処がとても苦手です。

ですが、生きていく上で劣等感と向き合わなければいけない、
それを感じることを避けられない状況というのは多々あり、
そのたび酷く気を病んでしまいます。

同時に、おそらく劣等感と密接に関係していると思われる、
自己評価・自己肯定感の低さもどうにかしたいです。

よろしくおねがいします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分が一番自分をイジメているんだと悟る

あなたを一番苦しめているのは相手でも過去でもありません。
相手と比べて自分を低く思いのペイントでケガしているあなたの思いの行為です。
過去を思い出して、思いペンキでどす黒く塗っているあなたの思いの行為です。
知らずしらずに「思い方」を悪く扱っているのです。
手打ちのやわらかいそばは茹でている時箸で突けば突くほどぼろぼろになります。
あなたの心の鍋に浮かんできた思いのそばをつんつんしないで過ごしてみてください。
ただ思いがプカリと浮かんできただけで、傷つかなくなります。
自分で自分をイジメていたんだと気づいたら坐禅会にお越しください。
自分の中で起こっている思いの発生をよーく見極めて、自分の思いに苦しめられないコツが会得されます。
あなたの人生は今後も続きます。
自分の心とは一生の付き合い。
影の如く付き従います。
劣等感、自己肯定感、自己評価。全部忘れなサイ。
そんな言葉を埋めていってもダメ。
自分が自分をダイレクトにしれば言葉で塗りたくる以前の自分になる。
自分を肯定否定する以前の自分になる。評価以前のまっさらな自分になる。
自分を高く評価せよ、肯定しろ、劣等意識を持つなで治る人なんていません。
そうだな、と思ったら当山の坐禅会で自分の思いの正体を見極めてください。
サクラが咲いたよ埼玉県 黄色い電車の西武新宿線 特急コエドが止まる狭山市駅からたったの5分。タクシーで。(タクシーかい) 

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下 覚元様
回答ありがとうございます。
確かに言われてみれば、いつも気に病んでしまうのは自分で自分を責めた結果のことでした。
自分を責めることは、心のリストカットみたいだなと感じたことがあります。
坐禅会なんてものがあるのですね。ご案内ありがとうございます、検討してみたいと思います。

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