被災地を思う
豪雨,台風,地震…
被災地の映像を見るたびに心が痛みます。
でも私などは何も出来ず、ほんとにわずかな募金が精一杯です。
ゆっくり食事をしたり笑ったりすることも、何だか申し訳なく思えてきます。
被災地の知人に連絡を取ったら、「被災地じゃない所の人は普通に暮らしていてくれていいのよ。」と言われました。なんて強い!
それでもやはり胸が痛みます。
明日は我が身かもしれないので、今日は防災用品の見直しをしたりしました。
被災地の一日も早い復興を毎日お祈りしています。
そのほかに、私にできるようなことはありますでしょうか?
病気に負けてしまいそう
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被災地を思うーその心が大切でしょう
こんばんは。亀山純史です。
本当に最近は、豪雨、台風、そして地震と、自然災害が日本列島を襲っています。私も7年前の東日本大震災を経験しました。私は盛岡市に住んでおりましたので、幸い、津波や家屋の崩壊といった被害は免れましたが、食料やガソリンなどの物資の輸送が止まり、これから私たちの生活はどうなるのだろうか、と思ったものです。そして、新年度がスタートし、生活が落ち着てきたころには、ボランティア活動に沿岸被災地(岩手県大槌町、田老町)に赴きました。募金もしました。今もスーパーによっては、東日本大震災の募金箱を設置しているお店もあります。
このようなボランティア活動において、記憶に残っている言葉があります。岩手県陸前高田市の戸羽太市長の「被災者っていうのは24時間、被災者なんです。」という言葉です。(この言葉は、『被災地の本当の話をしよう ~陸前高田市長が綴るあの日とこれから~ 』(ワニブックスPLUS新書)に載っています。)ボランティア活動に来てくれている人は、被災地では被災者と同じ生活を強いられます。しかし、一旦、ボランティア活動が終わり、自分の居住地に戻れば、またいつも通りの生活が待っているわけです。しかし、被災地の人たちはそうではない、ということです。
ですから、私は少額ながらではあっても、被災地への募金をし、自分が住んでいるところが被災をしていなくても、節水や節電に心掛けていきたいと思っています。そして、命の尊さを改めて感じ、一日も早く復興出来ることを願うばかりです。
拝読させて頂きました。
そのような災害により様々な方々が苦しみ辛い思いをなさっていらっしゃること、そして皆さんと分かち合いながら生きることを決して忘れずに、できる範囲でお互い助け合うこと、そしてこれから起こる災害に対して今までの大変な経験を踏まえて備えていくことですね。
私達は皆共に生きているのですからね。
質問者からのお礼
亀山純史 様
早々とご回答ありがとうございます。
陸前高田市長の本を読んでみようと思いました。ほんとうに、被災者の方は24時間被災者ですよね。それでも立ち上がっていかれる姿に、敬意を表します。
私にもできることを探しながら、被災地を思う心を忘れずにいたいと思います。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
おはようございます。ご回答ありがとうございます。
大きな災害も時間とともに忘れがちになっていきますが、被災者の方の苦しみは長く長く続くものと思います。
私たちは分かち合いながら共に生きているということを、忘れずにいたいと思いました。