自分ではわかっているつもり
私は喜怒哀楽の感情が激しいと言われ、自分でも何となくは理解しています。そのため些細な事でもすぐに頭に血が上りやすい性格です。
それは友達と喧嘩(言い争い?)の時もそうです。自分が思っていないことも感情に任せて言ってしまいます。心の中では自分はこう言いたいわけではない、本当はもっと冷静に話したい、傷つけたいわけではないと思っていても必要以上にきつく言ってしまいます。
そして1人になってから酷く後悔と自己嫌悪をします。向こうが気にせず普通に接してもこちらが気にして上手く接することができないです。
謝ろうと思ってもなかなか言いにくく結局そのままになってしまいます。どうすれば、こんな自分を変えれるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは学習の結果です
こんばんは。ご相談は「怒りを抑える・納める」というテーマですね。回答が出るとタグ付けされていると思いますから、そのタグから既存の問答をご覧になることを、まずはお勧めします。
さて、「本当はもっと冷静に話したい、傷つけたくはない」という思いと、「感情に任せてキツイことを言ってしまう」という行動がチグハグと感じているのですね。仏教の練習が、多分効くと思います。
まず「感情に任せてワーワー言ってしまう」という行動形式は、どなたから学びましたか?いえ、正面から勉強した訳ではないでしょう。恐らく小さい頃、あなたの周りにそうする人が居たはずです。無意識にその行動パターンを貴女は真似し、身に付けて来たのだと思います。
仏教は実は「無明…知らないこと」が人間を苦しめる大きな原因であると言っています。「何故だろう…」と思った時に、即「分からない」と反射的に答えてしまう前に、思い出してみることです。「今の私に似ている人…」と。良かれ悪しかれ、まずは「あなたが学習して身に付けた行動パターンである」ことに気づくべきです。
万が一、思い出せないとしたら、あなたが生まれて以来ずっと「赤ちゃん扱い」をされてきた、という事です。赤ちゃんは感覚を表現することが全てですよね。それを周りは暖かく認め・受け入れて育てます。「何もできない赤ちゃんは、それでも大切だから」です。もしもココに思い当たるならば、あなたは知るべきです、「私はもう、赤ちゃんじゃない」と。
さて、感情に任せてワーワー表出することのメリットの一つは、「その間、相手からの表現を受け取らずに済む」ということです。受け取ったら、歩み寄らなければなりませんから、実際には「歩み寄りを拒否する」恐がりさん状態だということです。でも、たいていの場合、あなたは怖がる必要ない筈です。あなたが勝手に怖がっているだけ。それ、嫌なんでしょう?
では、実践編です。まずカッと来たら「私、カッとなった!」とキャッチすることです。「頭きたー!」ということですが、もっと具体的に自分を捉えることです。心臓バクバクとか呼吸が浅いとか。その身体の変化を捉えて下さい。
で!「私、恐がりさんなのかな?」と自問自答。ここがキモです。自分に問いかけることで、怒りの渦中からは抜けます。ここ大事です。
…っと、ここで字数制限だ。やってみてね。