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どっちが幸せ?

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以下、どちらの方が幸せなのでしょうか

・夢だった仕事について、勉強もすきだが、思うように成果がでず、会社や人から評価されず、自信がつかない人

・なんとなくで決めた仕事で、仕事に特に思い入れはない。しかし、会社や人から評価されて、自信がついている人

私は前者、私の周りは後者です。
周りの子の話を聴くと、夢を持って頑張る自分は がみすぼらしく見えます。
周りのような人は、自分の夢とかかんがえずにやり始めた仕事でも、人の役に立てて、自分に自信がもてるので、幸せそうに見えます。

私は、皆が遊んでいる間に、自分の進路を考えに考え、決めました。そして、努力して自分の夢を叶えました。
しかし、難しい仕事のため、何年かかっても認めてもらえずにいます。 自信がなくなって、プライベートでも人と上手く話せなくなるほどです
常に、自分が言ってることがおかしいような気持ちになるからです。

自信がほしいので、
今すぐ今の仕事を辞めて、
比較的簡単な仕事をしようかな、とおもいます。
間違ってますでしょうか


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夢があればその夢に悩み、夢がなければ夢がほしいと悩む。

こんにちは。亀山純史と申します。
どちらが幸せかは、あなた自身が決めることです。『仏説無量寿経』という経典に「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。牛や馬などの家畜類や使用人、また金銭や衣食、日常の品々に至るまで、あればあるで憂え悩む。(中略)田がなければ田が欲しいと悩み、家がなければ家が欲しいと悩む。牛や馬などの家畜類や使用人、また金銭や衣食、日常の品品に至るまで、なければないでまたそれらが欲しいと悩むのである。」と説かれています。これは自分の夢に対しても言えることではないでしょうか。「夢があればその夢に悩み、夢がなければ夢がほしいと悩む。」
幸せとは価値観ですから、人によって異なるものです。人の意見に耳を傾けることは大切ですが、最後に決めるのは、あなた自身です。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

何が幸せかは人それぞれ違うのです。
あなたはあなたが幸せと感じる道を歩めば良いのです。
自分がみすぼらしく見えてもいいのです。
好きなことができるならそれだけで幸せなのですから。
難しい仕事で一生をかけて取り組めるというのはとても素晴らしいと思いますよ。
私の住む備前地方は昔から備前焼などの焼き物が有名ですが、焼き物の世界では昔から一人前の陶芸家になるには「土3年、ロクロ10年、焼き一生」と言われています。
一生かかるのです。
大切なのは努力することです。
あなたはこれまで努力してこられました。
これからも続けてください。
結果は追いかけるのではなく、後からついてくるのです。
ただ、時には気分転換も必要ですよ。
思い詰めすぎると視野が狭くなり、思わぬ失敗をしてしまいがちですからね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

結果や成果に重きを置かない

拝読いたしました。

これまでの人生、いっぱい努力をしてこられたのですね。
ですが実らない。認めてもらえない。

そうなれば、苦しくなっても仕方ありませんね。
また、周りの人が偶然にも、充実した生活を送っているとなると・・・
努力して、もがいている自分が愚か者に見えてきます。

昨今、オリンピック・ワールドカップなど、結果だけを求められるようになってきているように思います。
一回戦などで負けてしまえば大きくマスコミに叩かれます。

また、個人競技などでも、メダルはおろか予選落ちでもしたものなら、これは努力不足だ、手を抜いてきたんだと評価されます。

選手は、血を見るような努力をしてきた結果かもしれない。
ですが周囲からそのような目で見られると、本人は努力が足りないんだと感じることでしょう。

というよりか、努力など関係ない。
勝てばそれでいいんだと。

そのような風潮が、この社会でも蔓延しているように感じるのです。
本来は、周囲のためではなく、自分のための努力だと思うのですが。

もっと、プロセスを大切に、自分の胸で温めて欲しい。
この数年の努力、いやそれまで目標に向かい進んで来た過程を。
私は、ゆゆさんにそう願わずにはおられません。

ゆゆさんの周囲の方は、実際に上手くいっているのかも知れません。
ただ、見えないところでは、額に汗し、悔し涙を流し、様々な苦悩が付きまとっているのではないでしょうか。

苦しんで、悔し涙を流し、我慢して初めてお金をいただけるんや。
そんな楽しんで仕事ができるなら、こっちが逆にお金を払わなあかん。
昭和の喜劇俳優の言葉です。

楽な仕事に移るのも悪くはないと思います。
ですが、あなたは本当にそれでいいのですか?

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

質問者からのお礼

お礼のコメントが遅くなり、大変申し訳ありませんでした。皆様、温かいご回答をありがとうございました。

亀山純史 様
幸せは自分が決める、おっしゃる通りだと思いました。私はなぜか、人と比較してばかりでした。

聖章 様
どっちが幸せかなぞ、自分にしかわからないことだと気づきました。努力も大事ですが、それだけでなく、自分は何が幸せかを考え続けていきます。

海老原 学善 様
私の今までのプロセスを大事にしてほしい。とおっしゃっていただいたこと、嬉しかったです。どうすることが自分の幸せにつながるか、もう少し掘り下げて考えたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ