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母のこと

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

初めて質問をさせていただきます。
よろしくお願い致します。

先月、母を亡くしました。亡くなる前に私が母に電話した際に、風邪を引いたようで、体調が悪そうでした。とても暑い日が続いていたので、熱中症だったのかもしれません。その時に私は食べ物や飲み物を持って自宅に行き、飲み食いをしないとダメだと伝え帰りました。夜に電話をして体調をうかがい、少し良くなったと言っていた事で安心してしまいました。後日孫を連れて家に行くから、それまでに良くなってほしいと伝え、電話をきりました。その後日、体調が悪化し、間に合いませんでした。

私の後悔は、体調が悪かった状態で病院や救急などの対応をしなかった事で母を亡くしてしまったこと。若い頃から照れ隠しで憎まれ口をたたき、母に迷惑をかけたことを謝れなかったこと。これまで育ててきてくれたことにありがとうが言えなかったことです。まさか母がいなくなってしまうなど考えることもなく、悔しくて、孫に会えることを楽しみにしていた母が可哀想でなりません。
助けることができたのに、助けられなかったことが悔しくて、母に謝りたいです。
この間まで元気だった母と話せないのが辛いです。
毎日母に会いたいと願っています。
母の魂がいると信じて仕事帰りに自宅へ行き、日々時間が過ぎるのを待っているような毎日です。
これから母のために、どうしていけばいいのでしょうか。ご教示をいただきたく、どうかよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お母様とのご縁

拝読させて頂きました。お母様がお亡くなりになられてあなたは深く悲しみ後悔なさっておられるのですね。そうですよね、お母様が亡くなられたことは本当に受け入れることができない辛いことですよね。ましてや突然のことでしょうからさみしさも募りますよね。あなたのその悲しみや辛いお気持ちを心よりお察し申し上げます。
亡くなってみて初めてわかる親のありがたみですよね。
私も今年母が亡くなりました。やはり辛いですね。今でも毎日仏壇の位牌と写真に手を合わせています。

人はいつの日か必ずその天寿を全うする時が参ります。それはいつなのかどのような状況でなのかは正直誰にもわかりません。
今改めてああしておけば良かった、こうすれば良かったと思うことが募ります。そうであってもなかなか充分に尽くすことは正直言って難しいのが現状です。
それはやはり私達が誰しもが未熟ゆえにやむを得ないことかと思います。それぞれに生活もあり人生もあり、やることがありますからね。
そうした時に私達にできることはまず亡くなりました母が必ず仏様に導かれて仏様の元で一切の苦しみから救われて、心から安心してくれるように仏様にお願いしお念仏おとなえさせて頂くことです。
南無阿弥陀仏
仏様は必ず亡くなられたあなたのお母様を正しくお導きなさってくださいます、そして仏様の元で心から安心なさり穏やかになられます。そして仏様からお教え頂き円満にご成仏なさり、あなたやご家族の皆さんをこれからもずっと優しくお見守りくださいます。

あなたの深い悲しみや後悔は尽きないでしょうけれどもその思いをありのままお母様に手を合わせながらお伝えください。お母様はいつでもあなたの思いに寄り添って受け止めてくださいます。

あなたやご家族の皆さんはこれからもずっとお母様とのご縁の中で生きていかれるのです。どうぞこれからもお母様を大切に思い真心込めてご供養なさってください。

あなたやご家族の皆さんがこれからも仲良く幸せに心豊かに生きていかれることをお母様は望み願っており、守っていてくださるのです。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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手を合わせ、念仏唱えるその場所に、お母様は居られます。

こんばんは。亀山純史と申します。

ご相談のようなお母様との別れは、本当に様々な後悔の思いを生み出してしまうことでしょう。私自身も、似たような状況で家族を亡くしております。でも、もう過ぎてしまったことは、どんなに悔やんでも、その過ぎた過去に私自身を引き戻すことは出来ないのです。本当に辛いことです。これからの私はどう生きて行けばいいのか。どうしたら私自身、後悔から立ち直ることが出来るのか。そのような問いかけを自問する日々が続きました。
そのような日々の中から得た答えは、「これからの人生、自分がどう生きて行くことが、亡き人の死を無駄にしないことなのか」ということに、後悔からの立ち直りがかかっているのではないか、ということです。あなたにとっては、お母様の死を無駄にしないこと、それは、お母様の死を通して、この世の無常にあなた自身目覚め、仏さまの教えに耳を傾けて行くことでしょう。そうして、是非、知ってほしいのです。お母様はいつもあなたのことを見守ってくれている、ということを。手を合わせると、そこにお母様は来てくださいます。南無阿弥陀仏と唱えれば、その念仏はお母様との念仏です。唱える声はあなたの声でも、その念仏はお母様からの呼びかけなのです。

以上が私からの回答です。お母様はいつもお浄土から、あなたを見守ってくれていることでしょう。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma 様

ご回答をいただき、ありがとうございます。
未だ母がいないことが理解できずに、毎日母を思い出し、辛い毎日を繰り返しています。
母を安心させて送らなければという気持ちと、ずっとそばにいてほしい気持ちが強くあります。
魂の存在を信じて、またいつか自分の天寿を全うしたときに、必ず会えると信じて自分に言い聞かせておりますが、辛く悲しい気持ちが押し寄せてきます。
母との縁という言葉をいただいて、これからもずっと繋がっていたいという気持ちと、もう一度巡り会いたい。母の子として、また産まれたいと心から願っております。
まだこれからも気持ちの整理がつかず、質問をさせていただくこともあるかと思いますが、その時は改めてご教示をいただきたく、お願い致します。
ありがとうございました。

亀山 純史 様

ご回答をいただき、ありがとうございます。
孫が産まれ、母への親孝行をこれからたくさんしたいと思っていた矢先のことで、本当に悔しくてなりません。母の体調が悪い時の切なさを思うと、自分が笑顔になることが申し訳ない気持ちがあります。私自身、家庭を持ち守るべき家族がありながら、母のいないこれからの人生が辛いです。毎日大きな気持ちの波がありますが、時間をかけて、少しづつ受け入れていかなければいけないと思います。
ただ、母に手を合わせれば、母がきてくれるという言葉は、とても有難く感じました。いつも母が側にいてくれると信じて、母を想い手を合わせようと思います。出来ることなら、私が母を見守りたいと思いました。
まだこれからも気持ちの整理がつかず、質問をさせていただくこともあるかと思いますが、その時は改めてご教示をいただきたく、お願い致します。
ありがとうございました。

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