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俗説、デマはどうして広まった?

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 いつもお世話になっております。
 まずはご報告からです。先日大騒ぎした「暴言職員」の件は、
晴れて解決いたしました。

 「こちらも表現が少々過激だった、ごめんね」
と謝罪のお言葉を頂き、あれから一切不審な挙動はありません。
 元々この方はユーモアに富んでおり、
いわゆる「海千山千」というワードのとても似合う方です。

 件の発言も、ご自身が若き日に実際に遭遇した事件を
受けてのものだそうです。
 

 さて、本題です。
 巷では、神事仏事に関する俗説(デマ)が真しやかに
囁かれています。

 「むかし人間だった神様は、動物霊と同じで格が下。
なので動物霊と同じく危険な存在である。祟る。」
「稲荷神は動物霊なので危険である。祟る。」
「〇〇神社と××寺は、戦国時代の因縁が原因で、喧嘩している」
他にあげればきりがありません。

 私の知人は、とくに最後の1項を
「え〜知らないの〜有名よ〜」と嬉々とした様子で語ります。
 私は2年以上も××寺に通っていますが、そんな噂は初耳です。

 そして何より、私など「罰当たり」なことを幾度となく
繰り返していますが、一切「そういう」目には遭っていません。

 何故、このようなデマが生まれたのでしょうか。
 確かに天部の神様は、昔は暴れ者だったと聞きますが…
仏様に叱られて改心して、善神になっているわけで。

 とくに仏教なんて、こんな雁字搦めな教えじゃなかったと
思うんだけどなぁ…オールウェルカムって感じで。

 
 ふと気になったので、質問しました。
 ご意見いただければ幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

情報と伝達  仏教と民俗

興味深い質問ですが、どう回答すべきか悩んでます。

なぜデマが広まるのか?仏教神道の謂れを離れて一般論で考えてみましょう。

1、間違った情報が発信されるから。
  私は仙台市若林区に住んでおります。東日本大震災発生後の数日間「3月11日から数日間「仙台市若林区の海岸に200人から300人の遺体がうちあげられた、という情報です。」とテレビとラジオのニュースで報道されていました。これは放送局のミスによるものですが、放送局によるデマの発信であり、デマの拡散でした。https://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/33214301.html#37915623
世の中には人を扇動しようとしたり人を動揺させようとしして、デマが流す人は居ます。こういう悪意あるデマの発信も有れば、震災時の放送局のミスによるデマの発信もあります。

2、情報の伝達過程で、情報が歪められるから
  伝言ゲームというゲームが有りますね。長い文章の題が出されると、すべて聞き取れない。覚えきれない。同音異義語や類語と勘違いしてしまう。そういう原因で、最初に発した言葉は数人が伝言することで、変わってしまいます。

 神事仏事に関する俗説(デマ)が何故広がったか?正解を導くには多くの事例を一つ一つ検証する必要があるのかもしれません。敢えて推測しますと、人は面白い話題や謂れを求め、その欲求を満たすためにデマが作られ受け入れられ、もっともらしく伝承されたのかもしれません。社寺の沿革を著した『縁起』(由緒書)は開祖開山を讃えるために其の来歴を脚色した部分がある一方で、時として其れから派生したデマが流布される場合もあります。

 神事仏事に関する俗説(デマ)については、私も昔から苦々しく思っております。しかし「何がどう間違いであるか」明確に指摘し是正するとなると、なかなか一筋縄ではいきません。仏教教理学だけで論破できることではありません。憑き物や動物霊について民俗学の分野で研究されていますが、仏教学からのアプローチは正直難しいと思います。憑き物使いや憑き物筋と呼ばれる方々は何らかの形で神社や寺院にかかわりを持っている場合も少なくありません。或る地域の、或る生活文化において、狐や貉や狗神などの動物霊が其の生活文化の中では現実に存在してきました。すべてデマと単純に切り捨てられるものでは無いようです。

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

【吉田俊英 先生】
 ご回答ありがとうございます。
 1について…言葉は悪いですが、まじっすか?ひどすぎでしょ。うん、これは酷い。
 仏教学の分野から見たら、提婆達多さんがこんな感じですね。
 あとはそれこそ、カルト教団みたいなのは空海さんの時代から存在したと聞きます。

 2について…伝言ゲーム、私も昔やりました。
 確かに密教経典の中にも、
「人によっては誤解を生じる可能性があるのでお坊さんからちゃんと教わって」
と警告されている経典が存在します。
 ちなみに私がそれを初めて読んだのが中学生の時でした。見事に誤解しました。
今では座右の書ですが…

 3について…文化の中では現実に存在ですか…民俗学、勉強してみます。

「宗教について」問答一覧

伝統と原理主義の境。不幸=神仏の怒り?

 いつもお世話になっております。  私が尊敬する情報科学の先生がXで、 「未だに、天災や気象現象を『神仏の怒り』と考える人は多く いる。しかも議員になれてしまうほど支持率が高い。なんでも かんでも『神仏のせい』にすれば、自力で考えなくて済むから。 だから自分は、宗教の原理主義的なものは嫌いだ」 とおっしゃっていました。  私は、宗教は「生活規範」「安心と励ましを与えてくれるもの」 と捉えています。  昔の人は、不幸な事…災害の発生や疫病の流行が起きると、 「仏様神様がお怒りになっている」 と捉えたと聞きます。  しかし、私は、 「地震だ!身を守れ!備蓄はあるか?火は出ていないか?神仏が見守って くれている。頑張って知恵絞って、みんなで力を合わせて乗り越えよう」 と捉えています。  私は、原理主義…つまりそのまま文字通りに経典等を捉えることは、 思考停止、理解が浅いと思っています。理解の浅さや霊感商法にも 繋がると思っています。  私は、宗教とは、経典を生活規範としつつ、いかに世渡りをして いくかを説いてくれているものだという認識です。  「宗教やってる奴なんて狂人」とネットで言っている人がいました。 私は、昨今のゆがんだ宗教観が原因でそういった認識も広まったと 思っています。霊のせい、神仏のせい、墓があるせい、方角が… お告げが…  お告げに至っては、現代ではメスカリン、アヤワスカの作用や 精神疾患が原因と分かっています。  また、ある工学の先生は、 「自分の感覚では、宗教は『頼る人』と『信じる人』に分かれると 思う。頼る人は、自己分析不足で盲信的、信じる人は客観的な 自己分析ができ、自分の非力さを理解したうえで、足りないところを 宗教の裏付けで上手くバランスをとっている印象がある」 とおっしゃっていました。  私は原理主義者、「頼る人」ではなく、伝統墨守、「信じる人」と いう立場でいたいです。原理主義者にならず、伝統を守りつつ、 世渡りをしていくにはどうしたらよいでしょうか。

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牧師、神父、イエスキリストが信じられない

仏教のサイトでキリストの話をするのは筋違いだと思いますが、お話しします。 イエスキリストを心の底から信じられないのです。 というか、私は私が所属したい教会がわかりません。 宗教ジプシーで、十数個の宗教を渡り歩いてきました。 でも、どこの神様も心から信じられないのです。というか、どこの教会も心から信じられません。 牧師にもそのことを話しました。 どこの教会が真理かと。 で、聖書を読んでいるかと牧師に問われて、新興宗教の教会に通っていることを打ち明けると、とても馬鹿にされました。 すごく悲しかったし、本気でキレてしまいました。 新興宗教というか、キリスト教の教会にも行かなく成りました。 なんだか、「クリスチャン」が信じられないのです。 もちろん私が知り合ってきた人には、良いクリスチャンもいます。でも、ネットでクリスチャンを自称している人は嫌いです。 ガンジーが「クリスチャンはキリストのように生活してねーじゃん」とツッコミを入れているように、私はクリスチャンが善人ばかりではないことを悟りました。 私はどうしたらいいんでしょう。 もう宗教が嫌になっています。 嫌というか、何かすごい心がモヤモヤします。 どうしたらあの嫌な牧師を赦せるのでしょう。汝の敵を許せと聖書にはあります。 でもどれだけ祈っても聖書を読んでも牧師を赦せないのです。 カウンセラーにも牧師を赦せないことを話しました。 でも、心理学や精神医学を使ってもあの牧師を赦すことができないと私は思ってしまいます。 カウンセラーに助けを求めましたが、正直あまり救われたと思えないのです。 どうすれば人を赦せますか。 お坊さんは、こいつ殺してやりたいと思う奴をどう赦すのですか?そもそも人を殺したいほど憎みますか? また、どうすれば、私は私が納得する教会というか、教えに出会えるでしょうか。

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科学と宗教の棲み分け。仏教は科学否定?

 いつもお世話になっております。  ある日、仲良くなった女子神主さんと話していて、 「科学じゃ説明できないこともたくさんあるのよ」 「お医者さんも信用しきっちゃだめよ」 と言われました。  私はこの神主さんを怪しみ、あえて科学界隈の精神科の先生に、 神主さんからこう言われた、と伝え 「先生、科学で説明できないことって何だと思う?」 と尋ねてみました。  「たくさんあるじゃない。精神の現象なんて最たる例だよ」 と言われました。 「個々人の物事に対する捉え方とか、病気を治したいっていう 気持ちを起こさせたりとかは、科学が干渉できないってこと?」 と聞いたら、その通り、科学はあくまで目に見えるものを探求する 学問だと言われました。同時に、 「みんな、科学に期待しすぎ」 と。  精神科の先生のことは信頼しています。でも、科学のプロが 「科学に期待しすぎ」という考えなのはどうなの?とも思います。  以前こちらで、宗教心、仏教心とは何か、と質問したら、 「当たり前のことを分かるようになり、惑いをなくすこと」 とお答えいただきました。目を開けたら見える、おならは臭い、 というようなことだとご説明いただきました。  しかし、世の中の人は、 「どうしてこうなるの?どうすればいいの?怖い!」 とあらゆる事に惑います。  科学は、 「これはこうだからこうなるんだよ(当たり前の提示)。こうすれば 怖くないよ」 と人々に教えてくれます。  そして、素直にその事象を受け入れ、科学で明らかになった対応策を、 (例えば病気の治療)ありがたく実行させていただく。この謙虚さと やる気を起こさせるのが、宗教心だと思うのです。  こちらのお坊様も、 「仏教では、物事には必ず科学的原因があると説く」 「科学の発展なしに、現代社会はあり得ない」 とおっしゃいます。  時折、「科学が人を貧しくした!」と言っている宗教家を 見かけます。私は、こういう人は危険だと思うのですが。  ちなみに精神科の先生は、「僕を100%信用しないで」と言い、 神主さんも、医者を信じきるなと言いつつ「治らない人は、治そう としない人よ」と言います。  実は、長年の疑問です。私は、仏教は科学を否定する危険な宗教 だと思いたくないです。  

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宗教について

お付き合いをして3年目、結婚を将来的に考えている20代後半の彼氏がいます。 結婚に向けて話を進めていく中で、 彼氏のお母様が熱心な新興宗教の信者なことが発覚しました。 彼氏は生まれた時から強制加入されているようですが熱心ではなく活動などにも参加していません。幽霊会員のような状態です。 彼氏はお母様の熱心さに嫌気がさして出身地から遠い所で暮らしているので日常生活で相手の親御さんが尋ねてきたり勧誘してきたりはあまりないと思っていますが… 私の父親が宗教関連断固拒否派です。 彼のことはずっと知らせていて近々食事だけでもするという話も出ていました。 私自身は信仰の自由はそれぞれ個人の自由かと思っているので勧誘されても入らないことは頻繁に伝えて固い意思でお断りすれば良いかなと思っていますが… 彼氏のお母様は私の入信を望んでいる様子だそうです。 (彼氏は宗教関連の話を一切私にしないで欲しいとお母様にきつく言ったようですが聞かない様子だそうです) 父親の反応が怖くてその件を言い出せない状態ですが、母親にも相談したところ「考えが甘すぎる」と言われてしまい結婚は愚か食事会すら猛反対されてしまいました。 私の結婚に対する考えは甘いのでしょうか?

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なぜ祈る?祈りと願いの違いとは?

 いつもお世話になっております。  最近、気になっています。人は、なぜ祈るのでしょうか?  私は毎日、私がお世話になっている精神科医療スタッフさんが 安全にお勤めできるように、また、ストレスのため体を壊して しまった友人が早く回復しますようにと祈っています。  最後に自分のために祈ったのは、いつだったか。といった ところです。  あるお坊さんが、 「祈りとは誓い。『私は、○○をします。お見守りください』と、 神(仏)だのみではなく、自分が頑張るのを見守ってもらう」 とおっしゃっていました。私は、本来の仏教は神秘主義に傾倒した、 現実逃避の教えではないんだ。と安心しました。  しかし現実は、祈りや寄進が「自己愛の増幅」に繋がってしまって います。 「私はこれだけ○○様にお祈りしてるんだワ!」 「私はこんなに○○寺にご寄進したんだワ!」 と、ナルシストになってしまっているのです。  だから、信者間でのモラルハラスメントや、不倫や性暴力の 横行といった、これが宗教者かと思われる、アリエナイ事態 が各所で乱発しています。彼ら彼女らからは、本来宗教者が 持つべき「謙虚さ」が欠落しているのです。  現に私は、色々なお寺で色々な嫌な事をされています。  まともに祈って努力して頑張っているのは、医学生さんや 法学生さんくらいでしょう。  現に仏教系の大学は、偏差値が低い所ばかり。まあ、偏差値 というのは倍率のような側面もあり、志望者さんが多い学校ほど、 「きりがないから優秀な子から…」と高くなるようですが。  昔、陰謀論は宗教が担っていたそうです。陰謀論にはまる人々は、 「私は真実を知っている」「世界は間違っているが、私たちは正しい」 と驕ります。そして彼らは、科学が嫌いで怠け者です。  仏教では、 「あらゆる事象には科学的な原因があるから、呪いやたたりなど 怖くない」 と説いていると聞きますが、これを理解している人が、どれだけ いるでしょう?  もっと言いたい事はありますが、長くなるのでここまでに します。  私は祈りを捧げるとき、周りへの感謝、そして、頑張ります、 という気持ちを大切にしたいと思っています。そして、祈ったら、 次は現実的なアクション。間違っていますか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ