働くことは何かを犠牲にしないといけませんか?
今年の7月に仕事を辞めて今は転職活動をしています。
自分がやりたいと思うことがなく進められた会社で面接をしています。
一社から内定をいただきました。
もともとは面接の練習で受けてみてと言われて受けてみました。
そこは仕事は終電ギリギリで土曜日、日曜日も仕事があり、勤務地も希望通りかわからないと言われました。
もともとは土日休みの遅くても22時終わりの勤務地が東京か神奈川で選んでいました。
家族とも土日はゆっくり過ごしたいし甥っ子も土日に遊びに来て好きな人とも土日で会ってました。
そんな理由で仕事を選ぶのはもったいないって言われたことが納得できません。
その理由だと仕事の幅が狭くなるし、その好きな人もきっと会えなくても仕事を頑張っている人に引かれるから仕事を頑張った方がいいよとか。
甥っ子だっていつまでも会えるわけじゃあないからそこで決めなくてもって。
その内定をいただきました会社からはこんな条件は当たり前だから会社の方針に従ってって言われたと感じました。
それを就職支援の方に話したらそれって被害者づらしてませんかと言われて。
将来が不安で辛くて死んで楽になろうかなと考えてます。
もし、そういう仕事をしていかなければ道がないなら友達も家族も好きな人とも関係をきってそういう仕事をしようかとも考えています。
文章が統一性がないことはお詫びします。
今の環境で仕事を見つけたいですがそれは間違ってますか?自分の可能性を閉ざしてますか?
教えて下さい。
限界が来ちゃいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
交換
犠牲と言うか…何かしらの対価を支払って別の対価を得るのが仕事です。突き詰めれば仕事とはただそれだけのことです。通常、時間と労力と質を支払って金銭を得ます。だから仕事をすれば好きに動ける時間が圧迫されるのは当たり前です。
だから私は仕事とは別に好きに動いてhasunohaやるためにこんな時間にポチポチやってます。「ふ〜ん、お前、暇なんだな。」って言われたくないからこの時間にやっても朝は普通に起きます。(夕飯後にちょっと昼寝しました)
就職とは、就職市場に自分という商品を売り込む行為です。
市場の中で平均的な時間と労力を提供できないなら、質を求められます。でもそれは大名出勤できる社長クラスや、特殊な能力を持った特殊な業界の人達に限られます。
充分な質も提供できないなら、仕事は選べません。でも、それも1つの生き方ではあります。それはそれで「仕事を選り好みしない」という1つの対価のあり方です。
ただ、就職支援の人は充分な職場に入らせるのが仕事だからプレッシャーをかけるのは当たり前です。だってそれがその人の仕事だもん。そのプレッシャーを甘んじて受けて就職支援を利用するのも1つの対価です。
何をどこまで払ってどこまで望むか。私が口を出すことではありません。自分で決めるのが大人です。背中は押しません。でも否定もしません。あなたは自由です。
コンビニをやりたいなら深夜も仕事がある
労働基準を守るコンプライアンスは、今の世の中必要です。
それを前提に、土日休めなかったり深夜に仕事があるのは、職種によっては仕方ありません。
コンビニをやりたいなら、深夜の仕事は避けられません。
歌手やタレントは、お客さんが休みの時間にステージをやるから、お客さんが見に来てくれます。
選ぶのは自分ですが、人生に良いとこ取りはないですよね。
もちろん、休日や就労時間を重視して仕事を選ぶのと良いと思います。
ワークライフバランスは、どんな仕事でも大事ですしね。