考え方や捉え方で人って変わらないですよね?
仏教徒の人も嫌なことがあったらもう解脱とか仏道がどうだとかどうでもよくなりますよね?この世界から早くいなくなりたいと思うはずです。
例えばわけわからない人からいきなり家族全員、生皮を剥ぐなどをされて足や手を少しずつ切られて殺害されて自分も下半身不随になって犯人は捕まらずの時にこれも仏になるための道とか言えますか?縁起だとか言えますか?。
輪廻転成を信じていて死が怖くないのなら、そういった悪い事をした人への恨みなんかもなくなるのではないか?と思いましたがどうなのでしょうか。
結局人生捉え方の問題ではなく辛いもんは辛くて運が悪い人は悪く世の中理由もなく不平等で世界はクソだと認めれば楽になりませんか?
仏陀でもいきなり知らない人から下半身不随にされたらキレますよ。
例えば今は仏教を利用して何故か儲けてると思いますが仏教で赤字になったりとかしたら今のような有難い言葉は言えませんよね?結局は利益があるからそういうことをいってるだけなのではないかと思ってしまいます。
どこかで人生は時間だけが平等だと聞きました。
私はそう思いません、使う時間が違うし、搾取される人はその時間を使えないし、植物人間の人や解離性人格障害の人はそもそも時間が消費されない。
結局平等なものなんてないのではないか? 有難いとか今に感謝するとかって結局当たり前に貰えてる人からしたらくだらない事ですよね。ビルゲイツが毎日パンの一欠片に感謝するとも思いません。
圧倒的に恵まれてる人からしたら当たり前に得ているものなので改めて感謝する意味もなく感謝したからと幸福があがるわけでもないです。
なのに苦しんでる人や貧困な人は何故か感謝してないから苦しんでいると言われます。
いや違うでしょ、アフリカの人は感謝してるけど苦しいもんは苦しいでしょ。結局は世の中ただただ恵まれた人が得するようにできていて感謝しなくても幸福です。
また仏教徒の方に人間に生まれた事を後悔するというと、動物に生まれるよりマシとかいってきます。いやいや動物に生まれた方がマシでしょう。
こういう質問をみて意味不明なモノが羅列して頭がこんがらがると思います
世の中はそれ程までに意味不明に複雑な苦しみが沢山あります
それを仏教は人それぞれの回答があるといいますがそんなアバウトなモノでしかないなら仏教である必要はあるのかと思います
宗教を勉強しても矛盾しか見えてこないので苦悩していたが原始仏教に惹かれる。哲学にも答えがないと悟る。 この世界の有り方が苦悩に満ちていて嫌い。 無神論者で反出生主義。 初期仏教や哲学や精神医療などを心の拠り所にしている。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考え方や捉え方は自業自得です
>解脱とか仏道がどうだとか
解脱を目指したこともありませんし、解脱しましょうなんて回答したこともありません
>これも仏になるための道とか言えますか?
むしろ「理不尽は理不尽なんだから、悟った顔して納得してたら気色悪い」って回答したことあります。そもそもウチの宗派で「仏になる」なんて言ったらド三流扱い喰らいます。
>結局は利益があるから
半分くらいのお寺は赤字なので一般職と兼業です。
>結局平等なものなんてないのではないか?
あなたの言ってる平等は「法の下の平等」とかキリスト教の「神の下の平等」とかその辺のものです。仏教の平等とは全く意味が違います。生まれを選べない苦なんて仏教じゃ正に四大苦の一角です。
>動物に生まれるよりマシとかいってきます。
少なくとも私は言ってません。六道輪廻はお釈迦さまの批判対象ですし、原始経典には「動物を見習え」って言ってるのが沢山あります。
前から思ってましたが、もっと人の話を聞ける人間になりましょう。思い込みが激しすぎて本当に意味不明です。まったく会話になりません。ちゃんと人の話を聞けないと仕事でも私生活でも苦労します。
人の身体は食べた物で作られます。人の心は考え方や捉え方で作られます。縁起とはそういうことです。不平等ですよ。だって自分次第、あなた次第ですもん。
冷静な第三者に助けてもらえばよい
ブッダは弟子に、たとえ他人からノコギリで切られても怒ってと説かれています。
しかし、アビダンマという仏教理論によると、怒りの煩悩が完全になくなるのは4段階の悟りのうち第3段階だと言われています。
つまり、自分が実際に被害者になったときに、加害者に対しと怒らないでいられるのは、かなりの上級者だけで、普通は怒ってしまうのです。
しかし、ブッダは、何人も人を殺したアングリマーラを弟子にして改心させました。
アングリマーラは出家して教団に受け入れてもらえましたが、街を歩けば人々からひどいことをされたりもしました。
加害者であったアングリマーラに対して怒っている人々は実際いたのです。
冷静な第三者であるブッダが登場しなければ、誰かがアングリマーラを殺し、その誰かも罪を背負ってしまったでしょう。
普通の人間には、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩があります。
煩悩で理性を失って失敗することは、誰にでもあります。
そんなとき、冷静な第三者が登場すれば、理性的な判断・行動の手助けになります。
たとえば、交通事故を起こしたら、自動車保険会社の担当に電話すればよい。保険会社が適切なアドバイスをくれますし、賠償金なんかも保険でまかなえます。
仏教徒は、独りではありません。教団という仲間がいます。
自分がパニックのときは、冷静な第三者(仏教徒仲間)に相談すればよいのです。
質問者からのお礼
人の話を聞けるように努力しようと思いますが、世の中ADHDやアスペルガーなど人の話を聞かないような障がいがあります為努力で、どうにかなるものではない為、死にたくなりますね。