嫌われる人の存在価値ってなに?
アドラー心理学によると悩みは殆ど人間関係らしいです。
この世に一人しかいなかったらそもそも今の悩みは悩みでなくなるそうです。
つまり嫌われてる人というのは一生誰にも見向きされないのだから存在価値ってなくね?と思うのです。
で、世の中能力が低かったり障がいをもったりなど弱いものは迫害されるようです。
弱かったり、きもかったりすると世界中の人から嫌われます。
SNSでも拡散され、ニュースでも迫害され、人権団体は心の中で差別してて、全世界の考えは優生思想であり弱い人間は淘汰せよという考えであります。
色んな人はある属性を持つ人をバカにします。
そして毎日のように自尊心を満たすために人を傷つけます。
だとしたら弱い人間はそんな人達に攻撃される為に生まれてきたのか?と思うのです。だって遺伝子で決まる為、人は弱ければ弱いままです。
なら嫌われてる弱い人は、色んな人から嫌われます。そしてそれは世界中にいます、犯罪者や障がい者や無職や子供がいない女性やらなんやら。
それってどうなの?嫌われる為に生まれてきたの?どうすれば良いの?
楽しめるわけないよ。煩悩が少なくても他人から迫害されるのは辛いものだよ。
こちらのサイトでも私は話が"通じない"や"人の話を聞けない"と言われました。私はクズです。
そもそも人間とは知能指数に差があり、強迫観念やその他思考の癖などは遺伝子、つまり脳により思考の根源は変化します。
つまり人がどんなに努力して人の話を聞こうが学ぼうが限りなく無駄というか難しい話なのです、相手に対して同等の存在だと思うから思考をするだけで変わると思い込んでいる、例えば知能が低い方にブラウン運動の理論を方程式を用いて学習させてもその人は理解できません。
それと同じで私は思考を変えるだけじゃ世の中変わらないし人生変わらないし仏教って結局恵まれて知能指数が高い人しか救われないって酷いよねという感じで考えてしまってます。そして知能指数が低い人が仏教で報われるのならそれは方法論すら適当で曖昧に構築されてるから人間界で人間に生まれなくても解脱できるという事で仏教学ぶ意味ないよねと思うのです。
嫌われるような弱い存在や、そこから自己学習しても変化しないような人間はやはり苦しむしかないのでしょうか?
煩悩を減らしても毎日悪口を横で言われて平気でいられるのですか?
宗教を勉強しても矛盾しか見えてこないので苦悩していたが原始仏教に惹かれる。哲学にも答えがないと悟る。 この世界の有り方が苦悩に満ちていて嫌い。 無神論者で反出生主義。 初期仏教や哲学や精神医療などを心の拠り所にしている。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦しみを見る。
期待外れの回答で申し訳ないのですが、
学ぶ意味がないのではなく、学ぶだけでは意味がないのです。
私だって
能力が低いし
罪深いし、障害あるしで
知能指数も低いし
嫌われてるし、そこから自己学習しても変化しないような人間だしで
ご投稿の内容は私のことですかね?
私のやっていることは無駄ですか。
ふつうに
好かれるためにはどうすればいいですかとか
学習できるためにはどうすればいいですかとか
お坊さんは、人々が幸せでいられるように
どうすればいいと思いますかとか
聞けばいいのに
やらない理由を挙げているだけのような気がします。
仏教というか、私の属する宗派では、よく分からんてっぺんだけ見てあれこれ考えてないで
足元よく見て、「いいから出来そうなやつからやってみろ」という教えだと思っています。
私たちの伝統では悟りを開かれた祖師の中にも、文字の読めない人がいたくらいですから知能は関係ないのです。
要は心意気なのです。
理解するしないではなく、自分が変わるのが、仏教で。
仏教というのが固定されて存在しているわけではないです。
仮に仏教の考え方ということだけで言えば
ニーチェさん自身、変化しようとしなくても変化する気がなくても
そもそも変化しなかったらニーチェさんは存在していません。
ニーチェさんの存在が変化そのものですから。
ということは、あらゆる可能性が開かれているよ。
どうなりたいか、どうありたいか、考えて
ひとつずつできる範囲でいいから変えてみよう
というのが仏の道ではないかな、と思います。
涅槃や悟り、禅、極楽、真理、幸せなどというものは、
その道の先にあるのではなく、道そのものなのです。
少なくとも私はそのように教わりました。
苦しみについては「一切皆苦」もしくは「一切行苦」という言葉もありますから
むやみに、苦しみのない状態を作り出せるかどうかは分かりません。
でも
『苦しむ人から、苦しみを見る人』になれるかどうか。
道とはそういうものなのかなと最近思うようになりました。
ニーチェさんはさておき、少なくとも私はそれを支えに
前に進んでいます。
好かれること嫌われることとはまったく別の存在価値が見出せるからです。
実際、好き嫌いも大事ですが、それらから離れてみると落ち着くし、ほっとするものですから
この道を教えてもらってよかったな、と思っています。
悪口は空気の振動にすぎない
悪口は、音声、つまり空気の振動にすぎません。
空気の振動に意味を与え、概念を組み合わせ、悩み苦しむのは、音を聞いている自分自身の思考が原因です。
とりあえず、自分の思考の癖に気付くのも大事だと思います。
たとえば、ヴィパッサナー瞑想をやってみてはどうでしょうか。
日本テーラワーダ仏教協会のホームページなどに、瞑想のやり方が掲載されています。
生物の多様性は進化の過程で役立ちました。
ネアンデルタール人は滅び、ホモサピエンスは生き残っている。
ネアンデルタール人の方が私達ホモサピエンスより劣っていた?
しかし、私達アジア人や、ヨーロッパ人の遺伝子には、ネアンデルタール人の遺伝子が残っています。
アフリカからユーラシア大陸にやってきたホモサピエンスと、ネアンデルタール人が交配したからだそうです。
長くアフリカ大陸にとどまっていた黒人の人々には、ネアンデルタール人の遺伝子が入らなかったそうです。
黒人(純粋なホモサピエンス?)の身体能力は、日本人より高いですね。
しかし、ネアンデルタール人の遺伝子が入ったことで、ホモサピエンスの多様性が生まれたことが、人類の生き残りになんらかのメリットをもたらした可能性はあります。
進化の過程で多様性は大事だと思います。
質問者からのお礼
苦しみをみる人になれるように精進します、ありがとうございました。