生きる上で幸せだと思うには
仕事があり会うことはほとんど出来ないですが家族も元気で
きちんと自分のお金で生活出来ていてそれでも自分で自分が今幸せだと思えないんです。
自分にとって理想の生活は家族と普通に一緒に生活して地元の友人や知り合い親戚等がいる環境で生きることが一番の幸福だと思っています。
家族みんな一緒に生活した時期も一年ちょっと、実の兄弟も1度しかあったことがない、引越しも多く地元は無かった。
自分が明るくもっとうまくできるタイプだったら良かった。友人もそんなにいません、でも今いる友人は本当に良い人達でそこにはとても感謝してます。親には大切にして貰ったそれは本当に有り難いことだったと思います。
でも1人で知らない土地で暮らすのは寂しいし辛いけど帰ることは出来ないし趣味も何も無いし幸福だなと感じることが出来ない1番の原因は自分の考え方感じ方だと理解はできているんです。でも本当に1人は寂しい、恋人を作る気は無いんです。親と一緒じゃないことが本当に寂しいんです。ほかじゃ駄目なんです。
他人にあなたは幸せだと言われたとしても全然自分の感情の部分で納得出来ません。幸せになりたい=子供の頃から家族と当たり前みたいに生活してみたかった、もう出来ない事だけど。って事なんです。毎日幸せって思う事って無いと思うしでも出来れば自分で幸せだなと思って生きたいし出来ることなら明日は楽しくなるはずだとか幸せだと思うと思いながら不安や悲観せず眠って朝を迎えたいんです。幸福だと感じるにはどうしたらいいんでしょうか。希望を持って生きてみたいんです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せを見出すまで
幸せとは何か?
という問いは人が生きる上で誰でもぶつかる問いであり、誰もが一度は考える問いでしょう。
最初はやはり多くの人が自分の望むような環境が手に入ることと考えます。自分の外側に幸せを求めるのですね。物とか家とかお金とか仕事とか家族とか恋人、友人…。
でもそれらはもしも手に入れても、手に入れたら入れたで新たな悩みが生じるものでもありますし、同じものでもよりよいものが欲しくなるものでもありますし、手に入れたからには今度は失わないか不安になるものでもあります。そこで人は自分の外側に本当に幸せはない事に気がつくのです。
つぎに人が問題にするのは内面です。心の問題ですね。今度は自分の内側に幸せを求めます。どんな環境においても受け入れて満足して幸せを感じられたらどんなにか素晴らしい毎日を過ごせることでしょう。
そして人はそんな心を手に入れるために自己啓発やスピリチュアルや宗教を求めたりします。しかしいくら頑張ってもそんな心は手に入らないのです。
なぜならば私の心はわたしのものではなかったからです。
この事実に気がついたのが仏教です。心と言っても私の脳や身体のどこかに「これが心」と言えるような実体があるわけではありません。外部との接触、私の認識…様々な要素があわさったものを心と人が捉えているだけだったのです。
ですから心は私の思い通りになりません。触れる縁によって移ろい変わります。
そうなると「幸せとは何か?」という問いには答えが出なくなってしまいますね。
これまでのご質問も読ませていただきましたが、私も新卒当初は仕事にも住んだ土地にも悩みました。全く満足できず不満ばかりの毎日でした。ようやく「あれ?楽しいかも?」と感じたのは3年目くらいからだったような気がします。
今振り返るとその時の仕事も、住んだ土地での日々も幸せでした。
その当時は必死だったり投げやりだったりして心もしんどかったですが、今の私が見ると、「それも含めて私だな」「これが私の人生だな」と頷くことができます。
幸せとはあなたがあなたの人生を生きる中で出会う悩みや苦しみや悲しみを通して初めて見えてくるものかもしれません。
ご家族と暮らすのは難しいのですね。でもだからこそ、あなたが出会う人とのご縁の中に幸せは見い出されてくるものと思います。
それまではもう少し時間がかかるかもしれませんね。