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死にたい…という相談に対して

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有り難し有り難し 22

どう対応するのが良いのか分からなくなってきたので、相談させてください。

私は、友人に「辛い、、たまに死にたくなる」と相談されることがよくあります。
その度に私は、「話、聞くよ」と言い、本当に何をする訳でもなく、ひたすら話を聞いています。
話を聞いて、相づち打って、共感して…たまに、自分ならこうするかもな…とか言いつつ、話を聞いています。

でも、、「死にたい」ってその一言だけで沈黙の時もあり、その場合、どう返事を返して良いのかが分からなくなります。
相手は何か反応を示して欲しいのか、分かりませんが私が返事をしないでいると、ごめんね、、と謝ってきたりします。

ただの愚痴の時もあれば、死にたい…っていう時もある友人に対して、話聞くよ…だけで良いのか?分からなくなる時もあります。

ただ、話を聞くだけで良いと思いますか?
また、死にたいと言ってきた時にはどう返事をしたら良いと思いますか?

私自身も辛い時はあって、意味なく泣いてしまう時もあります。
でも周囲にあまり本音を言わないので、悩みのない人…とよく言われます。
自分が不安定な時にも、それを隠して話を聞いている時もあるので、辛い時もあります。

だからと言って、自分が辛いからって理由で、その友人の話を聞かないのも、見捨てられた…と友人が感じるのではないかと不安になります。
実際に友人が「話を聞いてもらえないと見捨てられた感じする。」と話していたこともあるので。。

どういう風に友人に接したら良いと思いますか?
アドバイス頂けると嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「待つよ」

こんばんは。そんな風にお友達から頼られるのは、一面有り難い事でもあり、一面辛いところだろうと拝察します。こっちだって悩みはありますもの。
私の敬愛する方から教わったのは、「言いたくなるまで待つよ」という言葉です。
けど!実際に電話を握って黙りあっていると、結構辛いですよね。相手の背中をさすることもできないし。
まず思って欲しいことは、「彼女にはきっと、自分で何か踏み出せる力がある」と信じることです。不安とかいろんな感情や思考が邪魔して一言も発せない…時もあるでしょう。けれど、きっと何か動き出すことができる。保証はないけれど信頼する。
そして、彼女のために祈ることで、沈黙を満たすことができます。
私は浄土宗ですので御念仏。「なむあみだぶ」を心の中で称えます。「迷っているんだろうな、苦しいだろうな。けど、自分から動き始められるはず」と思って。彼女の息遣いを聞きながら、心でお称えする。
そしてね、時々は沈黙を破り、こちらから電話を切っても良いのです。
「あのね、ごめんね。貴女には自分で動ける力があると思う。私は待つよ。けど、今日はごめん、切るね。あなたを信じていることは忘れないでね」と。
仏様やご先祖様なら、無限に話を聞いてあげられるでしょう。けれど私たち人間に、それはできません。自らの限界を認めつつ、自分も無理しない。
それを繰り返してよろしいと思います。その優しさは、きっと彼女を支えることに繋がると思います。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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お互い様ですからね。

拝読させて頂きました。
そうですね、迷いますよね。あなたの立場であれば私もどうすればいいかと迷ってしまいますね。
とはいえ相談なさるその方に真正面から素直なお気持ちで真摯にお気持ちを聞いて差し上げることが何より大切なことかと私は思います。
その方が死にたいと思うほどに辛いお気持ちを抱えて苦しんでいらっしゃることを聞いてうなずきながら気持ちをわかってあげて共感することは何よりその方の支えとなるでしょうからね、その方にはあなたがついて共にいること、決して孤独ではないことを実感し安心してもらうことから何でも始まると思います。
悲しみや苦しみはなかなか本人でなければわからないですけれども少しでもわかってあげることから始まるのですからね。
アドバイスについてはやはり自分の実体験を元にした言葉でなければ説得力はないかとも思います。ですから今あなたが自分の中から考えて出てくることをそのまま言葉にすることが大事かと思います。
或いは様々な方々の実体験や経験から出てきたことをあくまで参考になさることも一つかとも思います。
また仏教つまり仏様の教えを元に人が生きる道を聞いて頂きそこから学んで頂きながら少しずつ理解していくこともあるでしょうからね。
とはいえ何でも一足飛びには解決できるものではありません。
私達はそれほど強くはありませんし、逆に一人一人はとても弱く儚いものです。いきなり真理や善を説いても直ぐに実践することは難しいですからね。
病から回復するにも優しいお粥をゆっくりゆっくりと召し上がりながら体に吸収させて回復させていきますからね。病いの時にいきなり鰻や焼肉食べてしまってはかえってお腹をこわしてしまいますからね。
あわてずにおいたてたり追い込んだりすることなくゆっくりゆっくりですね。
少しずつお粥を召し上がるように目の前のことを一つ一つお話をゆっくりと伺いながらどうかサポートなさってくださいね。
私達はお互い未熟なもの同士ですからお互いを尊重しあいながら思いやりながら助け合って生きていくことにが大切ですものね。
あなたが皆さんと一緒に共に助け合い思いやりながら心豊かに幸せに生き抜いていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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