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自死遺族の気持ちと、自殺したい気持ち

回答数回答 3
有り難し有り難し 207

私には数年前、姉を自殺で失う経験をしました。
自殺されて後に残った家族の悲しみや苦しみを味わいました。
それなのに、私は今自殺したい気持ちがあります。
生前、姉と死にたいとお酒を飲みながら愚痴る事でバランスをとっていました。しかしその姉が亡くなり、苦しみ、悲しみの中に先を越されてしまったという思いもありました。

母親を1人にはできないという思い、自立しようと色々格闘してもうまくいかない現実、光が見えず真っ暗な中でバランスがとれず右往左往しています。
死にたいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自死で苦しみから解かれるわけではない!

たまさん

私も以前、自死(自殺)遺族の方が数年後同じように自死を選んでしまった、という経験があります。うつ状態であったご遺族の方と何度も長時間お話ししましたが、結局自ら決着をつけてしまいした。
たまさんも実感があるでしょうが、自死を選ぶ人は今の苦しみが死によって逃れられると思っています。しかし自死した結果、その今生の苦しみはそっくりそのまま、たまさんの様な遺族や親しい方に引き継がれてしまい、苦しみが増幅します。
「苦しみ、悲しみの中に先を越されてしまった」
この感情は正にお姉さんの苦が、たまさんに引き継がれたからでは?
あなたが自死すれば、その苦は、また最も親しい方に残してしまう事になります。

この世界は、生老病死、常に苦しみが付きまとっています。親鸞聖人は「生死の苦海ほとりなし」とおっしゃっています。逃れる事はできません。

何かのために、誰かの為に生きる事を考えて下さい。たまさん自身も誰かのお陰で生きている、生かされているのです。このサイトの「有り難し」ボタン。誰かに助けられることは有り難い(ありえない)ご縁のお陰なので、「ありがとう(有難う)」と感謝のこころを伝えるのです。

苦しみの中でも、ありがとう、と言える瞬間を大切にして下さい。

こんな語り合いの場にも参加してみて下さい。同じ想いの人々との語らいで生き抜く道が見つかるハズ!
◎自死遺族の分かち合い 『いのちの集い』
http://www.bouzsanga.org/share.html

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おきもち

石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしております。 過去の経験から、僧侶が聴聞の方々に一方的に話すだけの法話スタイルに疑問を感じ、悩んでる人・苦しんでいる人・勿論そうではないチョット仏教に興味がある人のお話しを聞き、対話する中でより良い方向を一緒に探す事を重要視しています。 お気軽にご相談下さい。

よく耐えてこられました

たまさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

数年前、お姉さまを自死で亡くされたとのこと。
家族が亡くなるだけでも悲しくつらいことなのに、それが自死となると、ほかにも様々な苦しみが沸き起こってまいります。本当によく耐えてこられたと思います。

その苦しみが積み重なって、背負うのがつらくなったのでしょうか。また、苦しみを打ち明けあっていたお姉さまが亡くなり、バランスが取れなくなったのでしょうか。
今、たまさんは死にたい気持ちになっているのですね。

お話しをお聞きしていて、人には心を開いて話す相手が必要なのだ、と感じました。
今たまさんには、そんな相手はいらっしゃいますか。

身近にいらっしゃるにこしたことはありませんが、各地に自死遺族に関わる会があります。僧侶が関わる会も、各地にありますので、ご紹介させて頂きます。よろしければ、HPなどご覧になってみてください。

自死・自殺に向き合う僧侶の会
http://www.bouzsanga.org

自死に向きあう関西僧侶の会
http://www.inochinohi-kansai.com

いのちに向き合う宗教社の会(名古屋)
http://inochi.in

自死に向きあう広島僧侶の会
http://www.inochinohi-hiroshima.com

自死に向きあう九州仏教者の会
http://kyuushuubutsukyou.com

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有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

やることがないとロクなことを考えない

日常を忙しくして考えないようにしたいものです。
もし働けるなら無我夢中でお仕事を。
働けないようでしたら資格試験の勉強でもするとか。
暇があるから死にたいなどと考えてしまうのです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ