理不尽だと思う気持ちのやり場
半年後に入籍を考えている彼氏の単身赴任が決まり、入籍の時期が遅れることになりました。
もともと結婚願望が強く、○歳までに結婚し30歳までには子供を産みたいと婚活を頑張り、やっと一緒になりたいと思える彼に出会いました。彼がとても奥手のため、これまで全て重要なステップは私から話を切り出し、前に進めようと努力をしてきました。
やっとここまでたどり着いたのに、それが意図しない外部的な要因で台無しになること、努力が報われなくなることが、どうしても受け入れられません。
彼を手放したとしても、思い描いていたプランで結婚できるとは限らず、彼のような人に巡り合えることはもうないであろうと頭では分かっているのですが、なぜ私ばかりが我慢することになるのかと理不尽に感じてしまいます。このままだと、「あの時私はあれだけ我慢した。」という気持ちがいつまでも残ってしまいそうです。
思い描いていたプランを手放し、この事実を受け止め、彼と前向きに進んでいきたいですが、この思い通りにいかなかった悔しさ、空しさ、理不尽だと思ってしまう気持ちのやり場に困っています。
どのような考え方をすれば、この気持ちから解放されるのでしょうか?このような場合、仏教ではどのようにして前向きにとらえますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【追記あり】個人の「理-ことわり」以前の普遍の「道理」
仏教の基本的な教えに「一切皆苦」があります。
「全ては思い通りにならないものである」
という意味です。仏教は自分の都合よく自分の気持ちを変えてくれるものではありません。むしろ自分の都合とは裏腹にコロコロ変わる気持ちによって自ら苦しむ自分の姿を明らかに突きつけてくる厳しい教えです。そしてその自分を明らかにした上で、それでもそのあなたを救うと呼びかけてれる厳しくも優しい教えでもあります。
あなたのいのちも、あなたの人生も、あなたの気持ちも思い通りにならないものです。
結婚生活とはそれが単純に二倍になるのですよ。あなたも、お相手も、それぞれに降りかかるご縁も思い通りにならないものなのです。
そのいただいたご縁の中でのあなたの努力は大変なものであったのでしょう。だからこの度の単身赴任による入籍の遅れというご縁が受け入れられないのでしょう。
しかし、考えてみればこれまでのご縁もけしてあなたの努力だけの賜物ではありません。
彼との出会いも、二人が惹かれ合ったことも、これまでに二人の気持ちが冷めてしまわなかったことも、それはあなたの努力だけによるものではなく、ご縁からいただいた「おかげさま」の賜物でしょう。
「理不尽だと思う」のは自分で「理」を設定しているからです。「○歳までに結婚し30歳までには子供を産みたい」のはあなたが設定した「理」ですね。
仏教が説くのは「道理」です。「道理」とはいつの時代のいかなる人にもあてあまるものです。
その一つが「一切皆苦」という「真理-真実の道理」ですね。
この度のご縁は大変に残念なことかもしれませんが、これから結婚生活を迎えるにあたり、あなたの「理」以前の「道理」に気づかせてもらったと受け止め、このご縁にお育ていただくことにしましょう。
これからお二人で色んなご縁を乗り越えたり引き受けたりしていかねばなりません。
気持ちが前向きな時も後ろ向きな時も変わらずに仏様の教えは私たちを照らしてくださります。
それが「道理」です。こんなに有難いことはございません。
これからもお二人でどうぞお幸せに。
【追記あり】
思い通りにならないからこそ、(思いを超えた)望外の喜びに出会えるものです。彼との出会いもあなたの思いを超えたものです。素敵な人と出会いたいと願ったとして、それが目の前の彼である事実は思いを超えていただいたものです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
「全ては思い通りにならないものである」
非常に厳しいお言葉ですね。
言葉の通り、思い通りになるという希望を捨てて生きていければいいのでしょうが、
そんな諦めばかりの希望のない人生ではつまらなく思え、生きていく気力がなくなってしまいます。
ただただ人生は苦行と思って耐え続けるしかないのでしょうか。
確かに、彼との出会いは、思いもよらない願ってもみなかったものでした。
一時的な感情により、このありがたいご縁を無駄にすることのないよう、
前を向いて歩いていこうと思います。
おかげさまで、彼と出会えたという、今すでに手にしている幸せに目を向けることができました。
ありがとうございました。