人生の不平等との向き合い方回答受付中
先日,とても優しくて尊敬している2歳年上の友人が事故に合いました。かなり深刻な状況で,仮に意識が戻ったとしても事故以前の生活を送るのは厳しいみたいです
この3週間ふとした瞬間に思い出して涙が出ます。本当に理不尽だと思います。交通事故は1秒タイミングが違うだけで全然結果は違ったものになるので尚更です
未だに実感が湧きません
他方で中学時代の同級生は自分を含め3人の人生を大幅に狂わせたのに,未だに裁きを受けることはありません
その人物は在学当時,自分のした事は棚に置き自分のされた事だけを親に話してその親とともに学校に乗り込んできたような有様です(乗り込んできた理由は,自分とは関係ない人が原因)
その人物はイジメ”られた”として先生に相談していましたが,仮にその人間が受けた行為が’いじめ’であるとするならば,その人間が自分にしてきたことはいじめでありそれ以上のものであったのかもしれません
その人物は今,有名大学群の1つに含まれる大学に通っています。しかも推薦での入学です。素行はとても良くなかったのに です。
方や誰に対しても優しく,慈愛に溢れた人が事故で酷い目に遭い,方や人を陥れることに喜びを感じるサイコパスみたいな極悪人が今充実している人生を送っているのは,やはり理不尽だと思います
人生はこういうものと受入れるべきでしょうか?
とても悲しく,とてもやるせなく,また憤りをすごく感じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
現実が変わらないなら感情を変えるしかない
お若いのに激しい経験が続いたのですね。
ストレスで体調不良になってもおかしくないような経験だと思います。
しかし残念ながら、一切皆苦、諸行無常が世の現実です。
公平とか人権とかは人間が作り出した人工的なルールであり、野生動物の世界にはそんなものはありません。
人間だって動物なので、人工的なルール(公平であるべき)が自然界の事実(弱肉強食・理不尽・不公平)に負けるのが現実です。
現実は変えられないので、幸せに生きるためには感情を変える方が良いです。
感情を変えるためには思考や視点を変えるのが効果的です。
たとえば仏教では、どんな悪人・罪人をも慈しむ思考回路を推奨します。
怒り憎しみはあなた自身のストレスにつながるので、敵(加害者)への憎しみも忘れて生活した方があなたの幸せに役立つのです。
事故や災害の悲しみも日常生活では忘れて生活した方があなたの平安に役立ちます。
心(思考や気分)は瞬間ごとに浮かんで消えていきます。
過去や未来に関する妄想雑念の持続時間や回数を減らすように、嫌な気分になる思考の堂々巡りから飛び出して、別のことを考えるようにしましょう。
「心は無常」であり、瞬間ごとに新しい心、だから瞬間ごとに新しい自分に生まれ変わっていると思いましょう。