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変化を受け入れられません。

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今まで私は趣味や職業柄、外見や容姿に頼る生活をしてきました。ところが、昨年から抜け毛が急増。頭頂部からハゲが進行してきました。
母方の親族男性のほとんどがつるつるとした禿げ方をしているので、自分もそう遠くないうちに・・・とは思っていましたが、いざこうやって現実を目の当たりにしますとショックで、色々と考えてしまいます。

出身は非常にのどかな、ありていに言ってしまえばものすごい田舎で、地域的なつながりも強く、その辺ではちょっとした基盤の家に跡取りとして生まれました。
そういった背景で、私は長子なのだから、跡継ぎなのだから、などというような言葉を、幼い頃から家の内外問わずかけられてきました。
自分の性格、能力、趣味など、いわゆる私自身の中身について褒められたような記憶は、正直あまりありません。
周囲の環境のせいにするのも馬鹿馬鹿しい話ですが、要は、この人達は自分の中身を本当に見てくれているのだろうか。
跡取りであるというラベル、ちょっとした家の生まれというブランド、人並みに恵まれた容姿、そういったものにしか、自分の価値はないのだろうか。
自分自身に全く自信が持てず、そのような気持ちでずっと生きてきました。

先述しました通り、そういった背景の中で寄り縋ってきた容姿という部分で自信を無くすようなことが起こっています。
人間見た目ではない、ということも重々承知しております。
しかしながら、ある程度見た目による部分があるということを、これまでの生き方から感じてしまっている自分もいます。
そういったものを失ったとき、果たして自分に何が残るでしょうか。
同時に、中身を見てくれる人はいるんだろうか。例えば結婚にしても、容姿を失っても受け入れてくれる異性と出会い、今後歩めるだろうか。
ずっと変わらないでいたいとは思いませんが、変わることが怖いです。
受け入れることができないのと、受け入れてもらえるか不安で、ただただつらいです。どうしたらいいでしょうか。

長々と大変失礼いたしました。
お考え、ご教授いただけましたら幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

諸行無常ということですね。

 こんばんは。私もお寺に長男で生まれたので、ほぼ洗脳レベルで育てられてきました。若い頃って、本当に中身ないです、今から見れば。けれど、今になって分かるのは、「若いウチはそれでいい。で、そこに気づいてからが人生スタートよ」という事です。
 何せ見えている視野が全然違います。勉強の成績とか、どの学校へ行くとか、彼女がいるとかいないとか。車が欲しいとか。正直、20台前半の興味と言ったら、車と異性くらいのものでした。坊さんの資格をいただいた瞬間も、それは余り変わらなかったような気がします。
 はい、タイトルの「諸行無常」。全てのものは常、つまり恒常的ではないのです。年齢しかり、容姿しかり、価値観しかり、財産しかり、人間関係しかり。変化しないのは情報くらい。情報自体は一度発信されたら変化しませんが、その価値はどんどん変化していきます。あなたの書き込みはどっかのサーバーに保存されて変化しませんが、レスだのシェアされて、その価値は変化していきます。
 「人は見た目が9割」と言われます。何割かは分からないけれど、やっぱり大事。でも何が大事なのかと言えば、「年齢なりに相応しいか?」という事だろうと思うのです。「いつまでも若く見られたい」はダメよということです。
 そして、あなたは「人間見た目ではない」という事に出会った。言葉は知っていたのでしょうけれど、自分のこととして思い当たった。そこが尊いと思いますよ。「変わることが怖い」と書かれていて、その通りなのでしょうけれど、これは抗えないことなのです。あなた自身が、どっかのサーバーに保存されているデータではないのですから。ここ受け入れる事で、次のステージが待っています。大人としての。
 幸いまだお若いようですから、ガムシャラと思われるほど、物事に打ち込んだらいい。何か絞って全力投球してみればいい。決める前に、いろんな世界を見ておくのがいい。今までの人生は、言わば世界にアプローチする準備だと思って、いよいよやってみるといい。
 私たちは修行を終えると、「お葬式を1人で出してもいいよ」というお墨付きを貰います。運転免許と同じ。実際に良いドライバーになるか、ペーパーになるかは、それからの問題です。今あなたがいだいた「健全な危機感」を持って、社会に働きかけるといい。応援します。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。なんらかの言葉を得たい一心でしたが、お答えを読む中で、そういえばお坊さんもお家の拘束力というか、そういったものが強いんだなあと改めて実感しております。

お答え、本当にそのとおりだなあと思います。本当にありがとうございます。
しかし、自分の心の幼さ、未熟さを痛感しますが、理解ができても飲み込むことができておりません。時間とともに、受け入れられるでしょうか。
抜け毛を見つける=今の自分から変わっていってしまう証拠のように感じてしまいものすごく落ち込みながら、前向きにならねばと頭、理性的な部分では思いつつ、心の部分がまったく呼応してくれません。食欲が落ちたり考え込んでしまったり、いただいたお言葉と自分の中身が噛み合わなず苦しいです。

全力投球、やってみたいです。現在の仕事はなりたかった自分と大きくかけ離れていて、新たに挑戦を・・・というところで父に癌が見つかり、跡継ぎなどの話がいよいよ現実味を帯びてくる中、果たして自分はそういったものを放り出して、ただやりたいことをやるために生きてしまってもいいのか。それによって誰かが困ってしまうのではないのか、と恐怖しています。

しかし、お言葉を真摯に受け止め、少しずつでも前向きになっていければと思います。時間がかかるかもしれません。
おそらく、色々なことが重なって非常に後ろ向きになってる部分もあるかと思います。そういったものを、いただいたお言葉を大事にしながら、一つ一つ、落ち着かせていきたいなと思っています・・・。

一言いただけるだけで、なんだか少し軽くなります。
本当にありがとうございました。

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