感情の波に疲れる
感情の波が激しすぎて疲れます。楽になる方法はないでしょうか。
カッとなったり、興奮したり、1つのものに異常に執着したり、とにかく激しい感情にもみくちゃにされながら生きてきました。あらゆるものが恨めしく、生きることそのものが恐ろしく、激しい喜びは数分でむなしさに代わります。時折涙が止まらなくなります。感情の波に振り回されて、身の回りのことに手がまわりません。
我が家は代々そういう家系らしく、実家の家族に苦しさを相談しても「おまえはまだマシな方だ」とだけ言われます。相談して以来、家族の私への視線は可哀想なものを憐れむものになってしまい、居心地が悪いので連絡をとらなくなりました。唯一長く相談にのってくれていた姉も、私の感情の激しさで疲れさせてしまっているようなので、もう相談するのを止めようと思っています。
友人や知人はおそらく、私の激しさを知りません。知っていても、気づかないふりをしてくれているだけかもしれません。
自分がいつか年をとって、自分自身をコントロールできなくなったら、と思うと、恐ろしくてなりません。いったいどんな醜態をさらすのか、想像もつきません。私は私自身の醜い感情の有り様を、誰にも見られたくないのです。
今は病院で薬を処方してもらって、なんとなく頭にモヤがかかったような状態で過ごしています。けれど同時に、感情の波の無い自分のことを、死人のようだとも感じます。激しい感情の波は忌まわしいですが、同時に私の一部分であり、一種の自己愛着の対象でもありました。感情と一緒に、本来あるべき感受性まで死んでしまったような気がするのです。
激しさに振り回されて生きるのか、死人のように生きるのか、私には二択しか見つかりません。なにか、他によい道は無いでしょうか。
生きることが苦しい
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ちょっと待ったの心がけ
拝読させていただきました。
てつろうさんは勘が鋭いのですね。鋭いからこそ、他人のスピードなどに苛立ちを感じ、周囲の勘の鈍さに腹立たしさを抱くことはないでしょうか?
イラっと来ることを てつろうさんはご自身で理解しておられます。イラっとなるブレーキが効かなく、感情高ぶるモードに突入してしまうんですね。
イラッとする瞬間が分かれば、来た!もうイラっが直前まで来ていると。
感情がコントロールできなくなれば、冷静になるまで時間を要し、またやってしまったと後悔の念が芽生えてしまいます。
イラっと感情に突入される前に、これからは「一度、立ち止まる」こと。
「正」しいという漢字を分解すると、「一」+「止」=「正」になるように、感情を冷静な状態を維持するには、一度立ち止まってから、感情をいれれば後悔先に立たずと自覚が芽生えますので、少しブレーキになると思います。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。誰かに聞いてもらえるだけで、救われる気がいたします。
いただいた回答の「感情を止める」という部分が、私には少し難解といいますか、理解が追い付きませんでした。
腹が立ったとき、それが振る舞いに出てしまう前にストップをかけることは、きっと出来るという気がしますが、感情自体も、振る舞いと同じように一時停止することができるようになるのでしょうか?一体どうすれば止めることができるのでしょうか?
薬以外で、その方法が見つかれば、私の人生はずいぶん楽になるだろうと思います。
ありがとうございます。