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感謝と後悔

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母が亡くなり約半月が経ちました。

9月上旬に半身の痺れと歩行困難があり病院に行ったところ、末期の癌ですぐに入院。

母が落ち込むかもしれないと思い、年を越すのは難しいことを伝えませんでした。今思うと伝えてあげた方が良かったのかなと思います。突然亡くなり母もびっくりしているのではないかと心配です。

入院してから毎日会いに行きましたが、これは食べちゃだめ、この体勢でいた方がいいよ、とか体調が優れない母に口うるさく言ってしまった事も後悔しています。

周りの人に聞くと、母は子供の頃から今まで幸せだった事は少ないと思います。それなのに最期もこんな病気になり亡くなってしまった。

母はどんなに自分が辛くても病院の看護師さんや私達家族、周りの人全てに感謝を伝える人でした。見習わなくてはなと思います。

産まれてから23年間を母と一緒に過ごせて幸せだった、という気持ちと、心配ばかりかけて、親孝行もできなかった申し訳ない気持ちが交互に押し寄せてきてどうしたらいいのかわかりません。

亡くなる前日まで家族の心配をしていた母が成仏できるのかも心配で心配で、考え出すと止まらなくなり不安です。

まとまらない文章で申し訳ありません。
御意見を頂きたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

後悔は亡き母への愛情の表れ。

こんばんは。亀山純史と申します。

家族を看病していて、何事もなければ、自分が取ってきた行動に対して一つひとつ後悔するようなこともないでしょう。しかし、どんなに看病しても助からない命であるとわかっていても、看病の甲斐なく亡くなってしまうと、「あのとき、あーしておけばよかった。」と思うものです。それは、その人に対して深い愛情を持っているからなのでしょう。全くの他人であったならば、もっと冷静に物事を判断し、「これが最良の看病だったんですよ。」と言えることでしょう。ですから、後悔することは何も悪いことではありません。あなたが後悔しているということは、あなたがお母さんへかけた愛情は、それは本当に深いものであったことを、あなた自身が証明していることなのです。

そして、亡くなられたお母さんが成仏しているかどうか、心配されていますが、あなた自身が、お母さんの死によって迷われている(お母さんが成仏できているか心配している)限り、お母さんはあなたのことを心配なさっていることでしょう。お母さんがあの世で安心していられるようになるには、あなた自身が、お母さんの死を通して、「私たちの命の尊厳、この世の無常」にしっかりと目を向けることが大切だと思っています。お母さんはそのようなことをあなたに教えてくださっているのです。

お母さんを亡くされて、お辛い日々はまだまだ続くことだと思います。辛い日々を楽しい日々にしなさい、などとは申しません。毎日、お仏壇に手を合わせ、亡きお母さんのことを想うとき、お母さんはあなたの合わせた手の中に来ておられることでしょう。

以上が私からの回答になります。お母さんへの感謝の日々を、どうかお送りください。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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自身の成仏をもって報恩となす

私は人が成仏したかどうかはわかりません。
というより、立証できる人などいないのではないでしょうか。
生きていた時のお母さん、そして亡くなられた後に今あなたがとどまっておられる境涯によって成仏と未成仏の違いがあるという事は言えると思います。
善処におもむくとか、理想の世界に赴くかどうかというのは、実は本人と亡き人とのかかわりあいにおいて言えることなのではないでしょうか。
人の死後の世界を見通せる人はいません。
いるとしたら死後の世界があると信じて認めている人たちの中でのお互いの慰め合いとしての方便世界があるということで、それは人間の作った設定です。
もしお母さんに成仏してもらいたいと願うのであれば、私は厳しいようですがあなた自身が成仏すればいいと思っている人間です。私も私の大恩ある老師が亡くなられてしまったならば、私がその老師にかわって自ら生きながらに仏道・菩薩行を菩提道を修して自己も世間の人々も共に最高最上の心に向かっていくように生きると思います。それが菩提心。菩提道。
世間のいうところの成仏するしないというのは私は怪しいので方便としては許されることはあっても、私個人として僧侶であっても信じておりませんし、誰かがもうけた「本当はそうではないことをそういうことにしておこう」という設定なのではないでしょうか。それは優しい嘘というもの。もし、そちらに進みたければこれはもう読む必要はありません。
もし、本当にお母様への御供養、報恩行をしたいと思うのであれば、あなたが菩提心をおこして自ら仏道を志すことです。塔婆を立てる、お墓を建てるという事はそういう菩提心の誓願の意味合いもあるからです。お母様も亡くなられてしまったように、あなた自身もいつかこの世を離れなければいけません。人生は「急に」。すべてが予測不能です。
そのような誰も避けられない生老病死、四苦八苦を超える生き方があるのです。
それが仏道をならい明らめるという事です。自分が自分の人生に向き合い、自身の母の死に向き合い、それを経験して今せつない思いをしている浄化されない心を救いに導くのです。それが仏道です。仏道とは自己を明らめる道。みずから仏心、悟り、慈悲、智慧、無我を明らかにする道です。決して坊さんのことだけではないのです。
あなたにとっての最高の生き方、仏道、仏法に出会えますように。

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