回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人間の目は失敗したときに初めて開く
サタンのような悪魔も、心が作り出した一つであると考えます。
「油断一秒、怪我一生」とあるように、何気ない事故などで刑務所に服すことになると、心の中には「あのときはこうしておけば良かった。こんな風にこれからは考え方を変えてみよう」と、思考が正常に働き出します。
人間の目は失敗したときに初めて開くように、失敗する前は心に悪魔が存在していることには気付きにくい生き物です。自分と向き合うことで、善悪の判断力を冷静にしていきます。
人間は幾度と失敗を繰り返し、二度とこのようなことを繰り返したくはないとサタンがいたからこそ、幸せの有り難さに気づくのでしょう。
合掌
うん、そうだろうね。
”サタンでさえも必要だったのだ”
正義とされるものを正当化する為には、悪の概念が必要だった。
一方で神を正当化する為には、他方で悪魔が必要だった。
ブッシュは「この戦争は神の御名において行う聖戦だ」と言い、
フセインは「この戦争はアラーの御名において行う聖戦だ」と言い、
イラク戦争は勃発した。
ヤハウェもアラーもエホバも、同一人物だ。ん?人物?神?よくわからんけど、自分を正当化する為に、相手を悪魔にする。つまり、自分を正当化しようとする者にとっては、サタンも必要だった、という事になるなぁ。
申し訳ありませんが、教会でお聞きください。物事に意味(使命)を見出すのも、サタンもキリスト教の概念です。
仏教的に言えば、自然界に意味というものはありません。人間が勝手に意味づけして論評しているだけです。その勝手な意味づけが苦の原因(取の煩悩)です。
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質問者からのお礼
法源さん
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まさに、仏教的な回答有り難うございます。
癒やされます。
大慈さん
この質問がキリスト関係と知りながら、「教会でお聞き下さい」はないんじゃないですか?
もう、キリスト教とか仏教とかわけて考えないと答えが出ないようでは、ちゃんちゃらおかしい時代ですよ。
全て内包して下さい。
仏教一辺倒では、もう通用しません。
光禪さん
悪いもん食いまくりました。
「エホバの◯◯バーガー」です。
転落院さん
俺の思いをわかってくれる!と思わせといて、『正当化しようとするもの』ですか。
う~ん、深い!
さすが、これでこそハスノハです!