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悪い方にとらえてしまう

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分かりにくいかもしれませんが、例えば、こうすると運気が良くなると言われ、携帯の待ち受けを変えてみたんですけど、反対にとらわれすぎてしまって、この待ち受けにすると悪い方にいってしまうと考えてしまいます。
変えればいいとは思うのですが、悪い方に考えてしまう思いに負ける気がして、変えられません。
でも、携帯を見るたびに嫌な思いをするんです。
どうしたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

待ち受け画面の前にあなたの思い込みが待ち受けているから

こんにちは。(-.- )先日、妻から借りたPCにフラッシュメモリを挟んだまま返してしまい画面が割れてディスプレイが割れて待ち受け画面が液晶ダダ漏れで大変なことになりました。しばらくリアルタイムで妻の不機嫌顔面が我が家の待ち受け画面になるという恐ろしいことに。人生何が待ち受けているかわかりませんね。ご紹介遅くなりました。そんなマジウケ体験日々連発の待っち受けの僧侶丹下かくげんともうします。
待ち受け画面は、そもそも何であれ良いも悪いもありません。
ただのディスプレイです。
真実のディスプレイはただ、アリのままにそれを映すだけです。
よーく観てください。
あなたがその待ち受け画面の画像に対して❝きっとこうにちがいない❞という思い込みが待ち受けている。だからいけないのでしょう。
物事には本来意味はありません。
意味をあらかじめ添えてしまえば、物事を正しく見ているとは言えません。
そもそも待ち受け画面に貼り付けた壁紙なども、自分の思いを添えたものです。
あなたの心がディスプレイだとします。
何か貼ってあるとそれだけ重くなります。
心の快適動作の為には、心のディスプレイにも何の待ち受け画像も貼らずに過ごすことが大切です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

そうですよね。
ついつい、悪い方に考える癖がついてしまい、いけませんでした。
心のディスプレイには何も貼りません。
ありがとございました。

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