理不尽に怒鳴られたりした時の気持ちの切り替え方
いつも有り難いアドバイスを頂き感謝しております。すいません、なんだかとてもくだらない質問かもしれないのですが、ぜひ心構えなどを教えて頂きたいので、また質問させていただきます。
私は何も悪いことなどをしていない、それどころか完全に向こうの落ち度だというのに、よく街で知らないおじさんに悪態をつかれたり、バイトをしている時にも、言いがかりをつけられて怒鳴られたりします。おばさんから同じような態度をとられることもあるのですが、圧倒的におじさんが多いです。
ただ私が若いから、女だからという理由だけで、このような態度をとられているように思います…。そのたびに理不尽だ、と思いいらいらしますし、また一方で知らないおじさんから怒鳴られたりするのは少なからず怖く、その日は一日気落ちしてしまいます。
こうした出来事をうまく流せるような考え方などはありますでしょうか…?よろしければご意見いただきたいです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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みてござる
”ただ私が若いから、女だからという理由だけで”
うん、きっとそうなんだろう。ホント、相手は残念な連中だよ。
”そのたびに理不尽だ、と思い”
そりゃあーそうだよ。
例えば、宅急便屋さんは、配達先が荷物を受け取らなければ持ち帰るしかない。それと一緒で、相手の罵声が耳には聞こえていても、あなたはちゃんと聞く必要はない。相手の吐いた罵詈雑言や悪態は、あなたが挑発に乗ってそれを受け取らなければ、結局そのマイナスは相手が持ち帰るしかなくなる。
とはいえ、あなたが知らん顔をしていれば、事態は必ず悪化してしまうだろう。次にそんな場面にでくわした時は、きっとあなたの寛容さや優しさが試されているんだ。仏様はちゃあんとあなたを見てござるから、また変なヤツを対応せねばならなくなったときには、あなたの優しさと器の大きさと知恵を使って切り抜けよう。
さぁ残念な彼らの為に、困った顔で頭を下げて、「ごめんなさい」という言葉を施してやろう。
それは、あなたにとってきっと損にはならないから。
モノを測るものさしの長さが、私のほうが長かったんですね。
こんばんは。亀山純史と申します。
「理不尽なこと」と思っているのは、この私のほうです。相手は理不尽なこととは思っていないものです。それは人は自分のものさしでモノを見るからです。つまり、相手とのものさしの長さと自分のものさしの長さが違うと、「なんでこんなことを言われなければならないんだ。」ということになるわけです。私もそのような経験はありますし、また、もしかしたら、誰かにとっては「理不尽なこと」と思ってしまうようなことを、私自身していたかもしれません。
ですから、そのような理不尽なことをされたときには、「相手とのものさしの長さの違いがそうさせているんだなぁ。」と思うことです。私のほうが、相手よりも長いものさしを持っていたために起きた出来事、と考えたらどうでしょうか。私はそうやって気持ちを静めていますよ。