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人が亡くなる事について…。

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有り難し有り難し 36

介護の職場について早13年…。

こういう仕事ですので、
終末期や急変等で亡くなる方を
看取る事があります。

自分は、他の職員からすると、
看取ってきた回数は多いほうだと感じています。

今月に入って、夜勤中に
急変の方がお一人、終末期の方をお二人看取ってきました。まれにみる多さだと感じています。

自分としては、人が亡くなる事は悲しい事ですが、最期の時、家族でもない自分を選んで頂いたと感謝しています。

先日、亡くなった方を見送り、職員が出勤して来た際に「また◯◯君の夜勤の時?」と数人から言われ、とてもショックを受けてしまいました。

あたかも、自分が夜勤の時に、不幸な事が起きていると言われてるようで…。
人が亡くなる事って、そんなに悪い事でしょうか?

よろしければ、お聞かせ下さい。
宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人は死にます

早かれ遅かれ死にます、例外は一切ありません
万物とは常に流転しているんです、人も動物も命あるものは命ある限り生き、そして亡くなります
建造物やら自然界のものもすべて常に移り変わっています、ただ一つとして永久に存在するものなんて無ければ一切の些細な変化も起こさない変わらないままのものはありません

どれだけ頑丈なシェルターであっても1分1秒劣化していきます、それがこの世の不変の真理です

佛教ではこのことを「諸行無常」といいます

ようしーさんは職業柄人の死に立ち会う場面は多いことかと思います、そして臨終のときが自分であった、自分を選んでいただいたことを嬉しく思う、非常に素晴らしいことだと思います。
ようしーさんは職場で誰よりもその場面を経験している。
だからこそ、あなただからこそ他の方とは違ってその意味をよく理解してらっしゃることかと思います。

他の方なら慌ててしまうときでもきっとある程度は落ち着いて行動して職務を全うされることと思います、誇ってください、自分だからここまで亡くなった利用者さんに対して真摯に向き合えるのだと

ショックを受けなくていい、悪いことのわけがない、大丈夫です。

私もたまにサービス付き高齢者向け住宅へふらっとお茶を飲みながらお話しするために伺うことがあります
巷では高齢者虐待などのニュースをよく目にするが・・・・やはり非常に皆さん真摯に介護してらっしゃいます、本当になんと素晴らしいか

それを友人に話すとたまに言われます、「死神やんけ」
答えます、「ちゃう、坊主や」
周りが何と言おうとようしーさんは立派な方だと思いますし気にする必要はありません、その自分を選んでくれてありがとうの気持ちを絶対に忘れないでいてくださいね

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有り難し
おきもち

THIS IS IT 死は死。 だからこそ。  

人が亡くなることは本当に本当のところは良いも悪いもありません。
亡くなってくれたほうが良かったと思われる場合だって、例外としてはあるのです。
人の死に善悪を想うのは、生きている人のみです。
だからこそ、その死に対する尊厳、敬意をきちんと持つべきであるのが人間の人間としての人間性、宗教心。
ある方は植物人間に近い状態で沢山のチューブにつながれて延命措置、家族たちは医療費も大変な金額、労力も大変な状態でした。
その方が亡くなった時、その家族は「良かった」とさえ思ったそうです。
人の生や死というものが道徳的な「良い悪い」という事が、介入できないケースもあることのたとえです。
仮に、一人っ子政策緩和で、人間だけがこの世に増え続けました。
人々は食べ物を奪い合い殺し合いをするようになりました。
生きててよかった。
戦争に行くことになった。良かったのか悪かったのか。
一つの食べ物を巡って相手が死んでくれてよかった。良かったのか悪かったのか。相手にも家族はあろうに。
このような良かったは果たして「良い」と言えましょうか?
人間の小さな頭で物事を考えると「良いや悪い」が生まれる。
生にしても良い悪いはない。
死にしても良い悪いという人間のラベルや値札がそこには無い姿があるのです。
そこを見極めてください。
価値や評価が生まれる前の「それ」としてあるのが物事の一側面でもあります。
だからこそ、だからこそ、生を軽んじて引けない、死を軽んじてはいけないのです。
亡くなったその方に哀悼の意を捧げると共に、あなたが人の死に立ち会う中で感じる憂いなきよう、今後仏道を歩まれて、ものの根本、本質を探究されることをお勧めいたします。
「THIS IS IT」全てはただ、それがそうあるだけ。
その通りにあるだけ。
それでいながら偉大なる死のさま GREATFUL DEADです。
あなたはその偉大なる死に立ち会われたGREATFULな 生 を歩んでおられるのです。
他人の言葉に屈することなく自らの生を完全燃焼してください。あなたの尊厳を軽んじる発言は人間性を欠いた発言だからです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

誠にありがとうございます。
お言葉を頂き、だいぶ楽になった気がします。
今までの亡くなられた際、「今までお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さいね」と御利用者様へ声をかけた事は間違いではなかったのかなと思います。
人間は生をうけながら、死に向かって歩んでいるといいますが、その臨終の際、自分を選んで頂いた事に誇りを持って、歩んで行きたいとおもいます。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ