質問
どうしてすべてには実体がなく、空なのですか?
又、思ったのですが、いまはひとが多く居過ぎるのと、加えて、社会生活をしないといけないから、自分のものなんて何一つない、所有できるものはなにもないだけなのではないでしょうか?
執着していられない、つかまえていられないだけなのではないでしょうか?社会のなかで生きていくために。
たとえばですが、もしも、世に自分だけしか存在しなかったら、どうですか?
すべて自由だし、すべて自分のものに出来ますよね?執着していられますよね。その時、すべてには実体がないといえますか?
いまはただ、なにも自分の好きなように出来ない、執着していられない社会で生きていかないといけないから、すべてには実体がない、といえるだけなのではないでしょうか?そう捉えて生きていくしかないというか…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなた自身、実体のない存在です。
こんにちは。亀山純史と申します。
あなたは毎年、歳を取ります。それは単に時間が過ぎていったことだけを意味するのではななく、あなたの身体に変化がみられます。そのこと自体が、ものには実体がないことの現れです。
さて、「ほしいものはすべて自分のものに出来き、それらに執着していられる」というのは、ある条件のもとになされる錯覚なのです。たとえば、今あなたは、大金が手に入りほしいものはすべて自分のものに出来る状態にあるとしましょう。そこであなたは新車の高級車を手に入れました。もしも、その新車の高級車に実体があるならば、購入後、まったくメンテナンスをする必要はありません。実体とは普遍的な存在ですから、新車の高級車に新車・高級車という実体があるとするならば、いつまでたっても新車のままの高級車ということです。しかし、現実はそうではありませんから、ものに執着をすればするほど、そこに生じる変わりゆく現実に苦が生じます。
また、すべてのものが手に入るならば、ものに執着していられるかと言えば、そこに忘れていることがあります。それは、この回答ではじめに述べた、あなた自身、実体のないもの、ということです。あなた自身、実体のないものですから、いつまでも、物事を握りしめておくことは出来なくなります。握りしめることで、苦が生まれます。たとえば、歳を取れば、今までおいしく食べていた食べ物も、食べられなくなるかもしれません。車の運転も出来なくなります。視力も体力も衰え、好きだったことが出来なくなったりします。つまり、ものに執着していくことで、苦が生じるのです。
以上が私からの回答になります。少しでもお役に立てればと思っています。
「空と縁起」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
確かに一切には、実体としての成立が無い「空」ですが、それは、何もないという虚無・絶無ではなく、全ては「縁起」として成立していると考えることが大切なものとなります。
この「空と縁起」を深く洞察することによって、否定されているものは何か、肯定されているものは何か、それを見極めるのは、非常に難解なことではありますが、是非、取り組んで頂けましたらと存じます。
是非、「空」と併せて、「縁起」についても意識して学ばれてみて下さいませ。
川口英俊 合掌
拝読させて頂きました。
そうですね、大変難しい質問ですね。
実態がないというよりはすべて共にありながら、移り変わりつながっていくのではないでしょうか。
正直私もわかりません。
とはいえ今あなたと私とはコミュニケーションしながらつながっています。そして私の存在もあなたの存在も一瞬一瞬変わっていっています。同時にあなたはここのお坊さんとのお話の中で心の中や意識も移り変わっています。
一瞬前のあなたと一瞬後のあなたとは既に変わっています。
そして私達はお互いに支え合ったり励まし合ったり分かち合ったりする中で影響し合っています。
もしかしらあなたが世界や宇宙のすべてでもあるかもしれませんし、ほんの一部かもしれません。もしかしたらそこに別け隔てているのは私達の意識だけかもしれません。
その分け隔ての私達の心が勝手に執着や所有や執念を作り出しているのかもしれません。
あなたは移り変わりながらも様々なご縁とつながっていらっしゃるのです。それは生も死も抱えながらつながっているのかと思います。
どうかあなたがその人生を生きていく中で様々な教えを受けながら、体感し実感しながら真理やものごとの在り様や自分自身も見つめ続け体得なさっていってはいかがでしょうか。
そしてあなたにとって素晴らしい教えに巡り合って下さいね。
様々なご縁を通して人生は生きる価値あるものです。