若さに嫉妬
夕暮れ時、中学生カップルがいちゃついており、それを後ろからキャーキャー言ってる女子の集まりを見たことがあり
その光景が忘れられません、あぁ、青春してるんだなぁと思いながらも嫉妬しました。
私は彼らとは真逆の学生時代で彼らと私は何が違うんだろうと時々思うのです。
十代でしか純粋な恋愛は出来ないので22になった私にはもう一ッッッッッ生手に入らない経験、お金で買えない経験。
うらやましすぎる。
社会人で楽しいと言う人を見たことがないのです、年金はもらえず消費税は上がり、給料もないしでどうにもならない問題に直面するし。
この世は少ないものに価値があります、学校の制服を着られるのは人生80年のたった6年だけ、その時期に思いっきり生きてみたかった
でも俺の性格じゃ例え中学生時代に戻れてもなにも出来ないのは目に見えてる、何をどうすればいいのかわからない、どうすればどうにもならない
悩みに救われるのか、俺は人格形成に失敗したと思ってます、失敗作、いるんですこういう人間。
今も、現状に焦っていますがなにもしてません、生き残れる気がしません
波のようにたまに押し寄せて来る青春コンプレックスつらすぎる
中学高校という人生の一番楽しいところ、輝ける時期にろくな青春を送っていないので 青春コンプレックスを抱えている。上手く生きることが出来ません受け身です
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人と比べた瞬間人は不幸になる
こんばんはー、質問は拝見させて頂きました日蓮宗の望月亮徳と申します。
年齢25と近いということもあり、未熟ながら答えさせて頂きます。
実をいうと、僕も青春らしい青春を送ったことがありません。
というのは、僕はとても内気な性格で、人と違うことをすることにとても恐怖を覚えていました。
だから、学生時代はなるべく目立たないように 面白くなくても笑って、
楽しくなくても笑って 周りに合わせていました。
こそこそ話がされているといつも気になって、自分のことを話しているのではないか と怯えてましたし、
やりたくもないことも周囲の目がきになって嫌といえず、やらされたりもしました。
生きているのに、全然生きている心地がしませんでした。まるで生きてる死体のような そんな感じでした。
僕のそんな人生を変えてくれたのは、あるアーティストの歌詞でした。
何気なく聞いていた「未完成交響曲」という曲で
「未完成なんだ僕ら」という冒頭に衝撃的を受けました。
そっか完璧じゃなくて、当たり前なのだ と
そして、中でも「100点じゃないこの僕に100点つけれるのは他でもない僕自身だ」
という歌詞です。これを聞いたとき、
あっ僕は僕で 他人と比べる必要なんてこれっぽっちもないんだなということに気づかされました。
仏教では、欲は際限のないものと説かれており、人はその欲によって操られております。
「私はこんなに儲けてやったぞ」
「私は何でこんなに稼げないんだろう」
「私は何をしてもできるな」
「私は何をやってもできないダメ人間だ」
人は得るものが多ければ多いほど驕り、少なければ少ないほど卑屈になります。
しかし、重要なのは、これらで共通していることが 常に「誰かと比べている」ということです。
こういった人は決して満足することはありません。
だから、まず 茄子さんは 茄子さんことを認めてあげて下さい。
茄子さんは茄子さんのままでいいんです。
そこから全て始まると思います。
そして、次に1日1個自分が今日できたことを手帳に書き出して 記録してみてください。
ここでポイントがどんなに些細なことでもいいというところです。ここを必ず守って下さい。
すこしでもお役に立てれば幸いです。
ありがとう。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
こんな性格悪い自分を受け入れる日が来るのでしょうか、30近くになったら死のうと思っていましたが
その時が来るまで生きるのもありかもしれません。