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周りの人が怒っている時の対処法

回答数回答 2
有り難し有り難し 24

家、学校、色々な環境において、誰かが自分の事を怒るのでは無くて、誰かが誰かを怒っている。つまり周りで怒っている人がいる時は、どのようにすれば良いでしょうか?

自分が怒られている訳では無くても、自分がドキドキしてしまい、パニックになってしまいます。

そのような時どうすれば良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

口を挟まず、関係なければ、その場を離れましょうね。

直接、自分が言われているわけじゃなくても、誰かが怒りをあらわにしている場に出くわすと、居心地が悪いですよね。その場の空気まで変わってしまうものね。

基本的に、それが 注意や指導中であれば、口を挟まず、関係なければ、その場を離れましょうね。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として、慌ただしく過ごしております。 ◆ゲートキーパー ご相談 駆け込み寺 (訪問は要予約。まずはメールでお問い合わせください) ◆ビハーラ僧、終末期ターミナルケア、看取り、グリーフケア、希死念慮、自死、産前産後うつ、育児、DV、デートDV、トラウマ、PTSD、傾聴、手話、要約筆記、行政相談員、小学校 中学校支援員としても、サポートしています。 ◆一般社団法人『グリーフケアともしび』理事長 【ともしび遺族会】運営 毎月 第1金・昼夜2回開催(大阪駅前第3ビル) 14:00〜,18:00〜 お問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com *この活動は皆さまのご支援により支えられております。ご協力をよろしくお願いします。 ゆうちょ銀行 口座番号 普通408-6452769 一般社団法人グリーフケアともしび ◆『ビハーラサロン おしゃべりカフェひだまり』 ビハーラ和歌山代表 居場所運営 問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com ◆GEはしもとサピュイエ 所属 (Gender Equality 誰もが自分らしく生きることができる社会をめざして)DV・女性支援 ◆認定NPO京都自死自殺相談センターSotto 元グリーフサポート委員長(2018〜2024) ◆保育士.幼稚園教諭.小学校教諭. レクリエーションインストラクター.中学校DV授業 10年間 保育 教育の現場で 総主任として勤めた経験も生かしつつ、お話できることがあれば 幸いです。 いつも あなたとともに。南無阿弥陀仏 ここでは、宗旨を問いません。 まずは、ひとりで抱え込まないで。 来寺お問い合わせは⬇️こちらから miehimeyo@gmail.com ※時間を割いて、あなたに向き合っています。 ですので、過去の質問へのお返事がない方には、応えていません。お礼回答がある方を優先しています。 懇志応援も宜しくお願いします。 ※個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺への いきなりの電話相談は受け付けておりません。また夜中や早朝の電話もご遠慮ください。 法務を優先させてください。
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怒りに怒りナイズされない

怒りというエネルギーはこの世の中でもっともイタいエネルギーです。
誰も幸せになれない。
ぶつけられた側は嫌な思いをする。
関係ない別の人にまで飛び火する。
大人の世界でも会社によってはパワハラ人間がいるものです。
👹そんないいかたをしなくても
👿怒りながら言わなくてもいいのに
そういう状況は大人でも子供でも本質は同じです。
だからこそ、この世に怒りは少ない方がみんな幸せです。
他人が誰かを怒っている時は、まずはそれは自分に向けられているものではないことを冷静に見抜きましょう。
その人を止められる力があるのであれば、まぁまぁまぁ、とか、やばい先生来るよ、とか、撮影されるとまずい、とか、お母さん怒らないでよー、とか茶化しながらその人の怒りをおさめてあげましょう。
こちらに飛び火する場合もありますのでご用心。
怒りによってこちらの心まで引火させないためには、冷静になる必要があります。
一呼吸、深呼吸して、自分に取り込まないことです。
助けてあげたいという気持ちを持ってみるとよいでしょう。
怒られたり、叱られてうれしい人はいません。
凹む人がいます。
その人の傷凹みを治してあげたい気持ちや、怒りたい人の気持ちも理解してあげましょう。
怒るのって、怒る人が悪い場合もありますが、必ず原因があるのです。
起こりっぽい子であるとしたら、いつも家で親から抑圧されているのかもしれません。
いずれにせよ力で抑え込もうというエネルギーですから、それに影響を受けてはいけません。
怒りというのはその怒りのエネルギーで相手を何とかしたいという気持ちの表れでもあり、冷静さを見失った状態でもあります。感情を除いて会話を聞いてみれば、ただ「こうしてほしい」と言っているだけですから、そこを冷静に聞き取れるようになりましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分を取り乱さないために、その場を離れようと思います。ありがとうございます。

ご回答ありがとございます。
怒りが自分に向けられている物ではない事を一度理解した上で、その場面に適切に怒られている人と怒る人の事を考えて、行動しようと思います。
ありがとうございます。

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