自分の弱さ
自分で言うのもなんですが、私は友人達や親から見て、明るくポジティブで心の強い人だと思います。実際、悩みがあっても、「実はこんなことがあってさー」と笑い話のように話します。私自身、前向きでくよくよせず、少しのことで折れない心を持った人になりたいと常々思っています。しかし最近、自分の中でどうしても上手く消化できない問題が起こり(自業自得なのですが)弱音を吐き出したくてたまりません。泣き出すかも知れません。でも、それを見た友人や親から、心が弱かったんだ、打たれ弱いんだと思われたくないと思ってしまう自分がいます。
自分の弱さを認められません。自業自得で引き起こした問題で心が折れそうになっている自分が嫌です。ネガティブでくよくよしている自分を他の人に見せたくないし、今までの明るい私がいきなり弱い心を見せたら、他の人はどう思うのか考えてしまいます。でも、人に弱さを見せてしまいたい気持ちもあります。どうしたら自分の弱さを認められるでしょうか。また、人に弱さを見せることが出来るようになるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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優しさだと思って
本当に強い人は、あえて自分を下げることができる人だと私は考えています。飾らない。気取らない。繕わない。時には嫌われることや悪者になることも辞さない。
お坊さんやってると、よく思うんです。世間は模範を求め過ぎてるんだよなぁ…と。
逃げちゃダメ。筋が通っていなかったらダメ。夢や希望に燃えていないとダメ。そうやってハードルを上げていく。
ハードル上げて上げて上げて、それを自分に課しているうちは格好良く見えます。でも、みんながそうしないといけない空気になって、みんな完璧じゃないとダメみたいな風潮になって、結局みんな疲れてしまう。それは無慈悲です。無慈悲なんですよ。
仏教の言葉ではありませんが、「上善は水の如し」という言葉がありましてね、本当に強いのは水のように柔らかい人なんです。
水は丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角くなります。人の身体の表面では汚れを洗い流し、内に入っては体液となって生命を支えます。霧のように柔和になることもあれば、大波のように力強くもなります。そんな自由自在なあり方。「折れない」というのはそういうことです。
泣いちゃダメだと思うから心が折れるんです。泣いても泣かなくてもどっちでも良ければ、折れる余地が無いんです。弱くたっていいじゃないですか。弱くてもいいから、弱い人を許せる。弱い人が赦される、弱い人のそばにいさせてもらえる。その方が素敵でしょ?
人は完璧には生きられません。そう考えられる方が、みんなにとって楽なんです。その方が優しくて、強いんです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
泣いちゃダメだと思うから心が折れる、はっとしました。泣いてもいいんですね。1回、思いっきり泣いてみようと思います。ありがとうございました。