自分の気持ちの感じ方に疑問を抱いています。
こんばんは、ご相談に乗って頂けたら嬉しいです。
私の悩みは相手の言動の受け取り方の正解がわからないことです。
そう思うようになったきっかけは彼との喧嘩(のようなもの)の中で、彼から何度か「言葉の受け取り方がおかしい」と言われた事でした。
喧嘩は大抵、私が心の中で劣等感を感じている部分に対して指摘されたり揶揄われた時(内容は些細な事です。)に、「そういう風に言われたら嫌」とか「どうしてそういう言い方するの?」と言ってしまい、「そんな言い方って何」という感じで起こります。
彼とは遠距離なので普段は声しか聞けませんが、基本的にとても優しく、私が嫌だと言って喧嘩した後お願いした部分を改善しようとしてくれる人です。
しかし、ふざけてなのか本心なのか、頼むよ〜(しっかりしてよのニュアンス)とか、しょうがないからやってあげるとか、彼にとって簡単なゲームなどだったりすると、ほんとに分かってる?(理解してるか説明させられる)そんなことも出来ないの?などと言われてしまい、最初は受け流すのですが、一日の間に何度も何度も何度も何度も言われるので、徐々に我慢になってしまい、ある時我慢できず爆発してバカにされているような、見下されているような、悲しい気持ちになってどんなに我慢しても涙声が出てしまい、最終的に声は殺していますが泣いてしまいます。
そしてその度に、うんざりしたような声に悲しくなり、あしらう言葉に悲しくなり、また、彼のことを傷つけてしまったことや、同じことを繰り返してしまうことが申し訳なく、自分に幻滅し、自分の内の劣等感や罪悪感に押し潰されてしまいそうになります。
受け取り方がおかしい、とは何度も言われ自分を省みたり本を読んで改善しようとしたのですが何度も彼ともめてしまいます。正しい受け取り方とは何なのでしょうか?相手の言葉の真意を正しく理解する術はあるのでしょうか?
私は、発言の意図は受け取る側次第だと思っていたので、勘違いをされないよう発言に気をつけていた為、受け取り方が変と言われてよくわからなくなってしまいました。(自分に問題がある事も理解しているので同意とでも…がぶつかっています。)
また、恋愛に関してのみでなく様々な場面で同じような思いをした為、自分自身の心に問題があると思いこちらのカテゴリにさせて頂きました。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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思いが通じ合うことは難しいことなのです
ご相談拝読しました。もどかしさや納得のできなさ、何か満たされないようなものを抱えておられるのではないかとお察しします。
やはり目の前の相手と本当に分かり合えたと感じることは幸せですし、だからそうできないことにはもどかしいモヤモヤが生じてしまうものです。
しかし、言葉の受け取り方、あるいは言葉を受けての感情の生じ方に正解や不正解はありません。それは人それぞれでありますし、もっと言うならばその人もその人の抱えている状況によってまた受け取り方も感情も変わりますから縁次第ということになろうかと思います。
ですが、客観的正解不正解はないとしても、相手がその言葉にのせた意味や感情を仮に正解とするならば、その通りに受け取れないことは相手にとっては不正解になってしまいます。そこに問題があるのですよね。
どうしても正解・不正解やいい・悪いという評価にとらわれてしまう。
つまり、彼の「(あなたの)受け取り方がおかしい」という主張が正解なのか、あなたの「発言の意図は受け取る側次第」という主張が正解なのかというところでの争いになってしまうということですよね。
問題の本質はどちらが正解なのかではなく、彼は何を伝えたかったのか、あるいは、あなたに彼の言葉を受けて生じた受け取り方や感情を彼にどう伝えたらいいのか、というところなのですよね。
それは本当の願いとしてはお互いに分かり合いたいと思っているということでしょう。
しかし現実としてはそれが難しい。なぜならば既に確認した通り、言葉の受け取り方は受け取る側の縁次第ですし、またそもそも発し手も発し手の思いを100%その言葉にのせているかというとそうではなく、言葉には限界があるという事実もあるからです。
分かりあいたいという深い願いを持ちながら、分かり合えない要素を持っているのが私たちのもどかしい現実なのです。
だからこそ、正解・不正解、良い・悪いの評価に振り回されず、相手と言葉を重ねてその言葉に乗せた思いを確認しあいたいものです。
あなたの心や受け取り方に問題があるということではないのだと思います。
モヤモヤを抱えながらでも、それでも私はこの人と出会いたいのだなあとの願いを忘れずに、目の前のご縁をいただいていきましょう。
質問者からのお礼
ご回答いただきありがとうございました。
わたしも彼も他に関わる人も、お互いに分かり合えないことが悲しくて少しずつ頑なな気持ちになってしまい、心の奥底に反発心が生まれてしまっていたのかもしれないな、と思いました。また、言う側も、言われる側も分かってもらえない寂しさを持っていることが、分かっていたはずなのに相手の立場に立ってみると本当の意味で理解出来て居なかったと反省しました。
うまく言葉に出来なかったところも汲んでお言葉を添えて頂けた上、全体的に柔らかな表現だったためか受け止めて頂けたように感じる事ができ、なんだかとてもほっとしました。
何度か読み返して、大事にしたいお言葉でした。ありがとうございました。