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亡くなった父に会いたいです

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先日ガンで父を亡くしました。55歳でした。

辛い闘病生活の後でしたのでそれなりに覚悟はありましたし、亡くなった直後は「やっと楽になれたね、良かったね」と思っていたのですが、
やはりとても寂しく辛い思いでいっぱいで、毎日遺影の前に座っては泣き、父の使っていた食器や布団を見ては泣き、父が好きだったテレビ番組を見ては泣いています。こうして文章を打っている今も涙が止まりません。

「いつまでも悲しんでいてはお父さんが成仏できないよ」とか、「乗り越えて強くなりなさい」とか、葬儀の時親戚の人に言われました。自分でもそんなことぐらいよく分かっているのです。
それでも、(こんな事を言うと怒られると思いますが)成仏なんかしないでいつまでも私と母の側にいてほしいとさえ思ってしまいます。

父も私も無口で口下手なため、元からお互い交わす会話は多くなく、私が働き始めてからは同じ家にこそ住んでいるものの関わりはあまりありませんでした。
そこにこのような出来事があり、私はこんなに父の事が好きだったのかと自覚しました。それならもっと話しておけば良かった、こんなことになるなんてとまた泣いてしまいます。

私も勿論辛いですが、最愛のパートナーを亡くした母はもっともっと辛そうで、私がいなければ後を追っていたかもしれないと思うほど悲しんでいました。そんな母を見ていると私も悲しくなってしまいます。

父の死を乗り越えるにはどうすれば良いでしょうか。時間が癒してくれるのを待つしかありませんか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

色々な親孝行があるんですよ!

質問読ませていただきました。

大切なお父さんを亡くされてとても悲しい思いをされているのですね。
親孝行したいときに親はいないとよく申します。心中お察しいたします。

さて、亡くなったお父さんは今どうなっているでしょうか?人は死んだら無になって無くなってしまうのでしょうか?
いえ、人は亡くなると次の命を受けます。人に限らず、生あるものは必ず次の命を受けます。亡くなったお父さんも新たに命を受け、生まれ変わっておられます。ひょっとしたらお父さんは生まれ変わって、はもさん達を見守ってくれているかもしれません。

また親孝行というと、一般的に生前の親孝行を考えるでしょう。両親の世話をしたり、ご機嫌伺いをしたり、孫の顔を見せたり、などということを思いつかれるのではないでしょうか。

しかし、亡くなった後も親孝行できるんですよ。一番はしっかり供養してあげる事です。残された方が、法事を営む、お塔婆を立ててもらう、しっかりお題目を唱える、ということをすることで、亡くなった方は必ず死後の苦しみから救われます。

また、お父さんが生きたことに意味づけしてあげる事も、立派な親孝行ではないでしょうか。「亡くなった人の人生がどうだったのか?」という評価を下すのは、生きている人達です。
たとえば、はもさんが幸せな人生を送ることが出来れば、そんな素敵な娘を持つことが出来たお父さんはとても素敵な人生を歩まれたのでしょう。
周りの人も幸せなはもさんを見て、「あの人(お父さん)は素敵な娘さんを遺していったんだな」となるでしょう。
このように、はもさんがどのように生きるかで、お父さんが生きた意味というのは大きく変わってきますよ。

生前あまり触れあえなかったことは、後悔してもしきれないでしょう。しかし、だからといって今できることもしないのは、この先もっと後悔して生きることになります。
今からでも亡くなったお父さんのために出来ること、1つ1つ一生懸命やってみましょう。

何か少しでも参考にしていただければ、ありがたく思います。

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思慕の情が、前を向いて歩く後押しになってくれるならば。

こんにちは。亀山純史と申します。私もあなたのお父さんと同じ55歳の僧侶です。私の周りにも、私くらい、否、私よりも若い年で亡くなられた方を何人も知っています。「この世は無常である」というには、残された遺族にとっては、あまりにも酷な現実です。心中よりお悔やみ申し上げます。

ところで、残されたご家族にとっては、故人の一つひとつの品や場所が、遺族にとって、故人を思い出させる品、場所になるのです。そして人は、そのような品、場所を通して故人を思い出し、そしてまた、故人と出会えるのです。死は眼前に事実として立ちはだかっています。この事実を消すことは、誰にも出来ません。しかし、故人を思慕していくところに、故人は戻って来てくれているのです。

「成仏する」とは、仏さまとなって、いつもあなたやお母さんのそばにいてくださることなのです。そして、故人はすでに仏さまに成っておられます。迷ってなんかはいないのです。仏さまの働きによって故人は仏さまに成らせていただいているのです。ですから、あなたが悲しんでいても、お父さんはちゃんと仏さまに成っておられます。

ただ、悲しんでばかりいれば、「私が原因で、娘を悲しい思いにさせてしまった。」という、お父さんの悲しみを生むことになるでしょう。お父さんへの思慕の情を抱きながら、前を向いて歩いていきたいものですね。お父さんへの思慕の情が、あなたが前を向いて歩く後押しになってくれるならば、お父さんも喜んでくれることではないでしょうか。

生前、言葉をあまり交わしていなくても、気持ちは通い合っていたことでしょう。言葉にしなくても、お父さんはあなたのことをよくわかっていてくれていたと思います。親の子に対する思いとは、そういうものです。

一番つらい思いをしているのは、お母さんでしょう。これからもお母さんのことを大切にしていってください。最後に、私が良く紹介する詩を紹介して、私からの回答を終わります。一度だけのご相談で、このような悲しみは癒えるものではありません。辛い時には、またこのハスノハをお使いください。

『人は去っても その人のほほえみは 去らない
 人は去っても その人のことばは 去らない
 人は去っても その人のぬくもりは 去らない
 人は去っても 拝む掌(て)の中に 帰ってくる』(中西智海和上作)

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「亡くなった・死んだ人に会いたい」問答一覧

母が恋しい

3年前に亡くなった母に会いたくて仕方がないです。 当時の私は高校3年生の受験真っ只中で、母の死にうまく向き合えず、心の整理がつかないまま大学で3年を過ごしてきました。 就職活動にあたり、自分の将来を思い描くとき、無意識に母がいる姿を想像してしまい、それが叶わないことに気付くと辛いです。 また、最近は毎日夢で母の姿をみます。夢から覚めてすぐは、やっぱり実家はいいな、久しぶりに帰ろうか、母に会いに行こうか、と考えるのですが、しばらくしてもう母はこの世にいないことに気づいて毎日泣いたり吐いたりしています。 この3年間、実家に帰る機会は何回もあったものの、仏壇の前に座って母の遺影と位牌をみて拝むことがほとんどできません。なぜできないのか自分でもわかりません。怖いのかもしれないし、認めたくないのかもしれません。自分でもよくわからず、苦しいです。線香もあげてやらない娘で本当に申し訳ないです。 夢で全く会わなかった時期はあんなに夢に出て欲しいと思っていたのに、実際に夢に見るようになってからは辛いだの苦しいだの言って酷い娘です。でも母に会いたくて仕方ないです。もう意味がわかりません。苦しいです。

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故人に会いたい、話したい

親しい仲だった友人弟を亡くして暫く経ちました。 以前質問をさせていただいた時からは、少しだけ気持ちが落ち着き、日常も取り戻しています。 そこで様々な疑問や思いが出てきました為、また聞いて教えていただけたらと思います。 まず、故人とはまたいつか再会出来ると言っていただけましたが、その再会とはどの様なものなのでしょうか。 魂同士で見た目は持たないのか、それとも最後に会った時の肉体の見た目(お互い20代、今の姿)なのか… 私が彼の訃報を受け、お参りに行かせていただいた時には既にお骨の状態でした。その事からか、未だに全く信じられなかったり、肉体への執着心が消えません。堪らなく会いたくなります。 また、無知なので何を言っているのかと思われるかもしれませんが、死後の動きは宗派によって異なるのでしょうか?宗派の把握はしておりませんが、私と彼の家の宗派が違う場合、いつかの再会は叶わない、という事はあるのでしょうか…? そして、彼に聞きたい事が沢山ありますが、特に聞きたい事として、私の事をどう思ってくれていたのか、私とどうなりたかったのか。 現在恋人がいる為、あまり聞くことでは無いと思いますが…私を想ってくれている様な発言を何度か受けており、けれどハッキリした言葉ではなかった為、いつか再会した時に教えて欲しいと思っています。会話は、出来るのでしょうか。 彼に会いたくなってLINEのやり取りやSNSのアカウント、前に一緒に遊んだ時の写真や動画を見ては、彼が居ないことが理解できない気持ちと、もう会えないのか…と強烈な寂しさで苦しんでいます。 記憶力がよくなく、昔遊んだ時の記憶はおろか、数年ぶりに再開した今年の春、初めて一緒にお酒を飲んでとても楽しい時間を過ごしましたが、その記憶さえも薄れています。 彼とのわずかな思い出を忘れる事が、今は1番の恐怖で辛いことです。介護職をしているので、何もかも分からなくなる認知症には絶対になりたくない、記憶があるうちに絶対死にたいと思っています。自死は選びませんが、どうか早くに、とにかく早く人生の幕が閉じないかと願っています。若いうちに彼に会いに行きたいとも。 めちゃくちゃな文章で分かりにくく申し訳ありませんが、また回答をお願いいたします。

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