仏教の地獄には色々あるのは知っているんですがお坊さんや仏教徒の方達はその数多くの地獄の名称を全て言えたりするんですか?
お坊さんからの回答 1件
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私は浄土真宗ですが、 地獄のことを詳しく知る必要が無くて お浄土がどういうところなのかを学びます。
また 死んだ後の地獄より 今生きている間の四苦八苦を考える方が より大切だと思います。
その四苦八苦を 地獄と捉えることもできますが。
いつもお世話になっています。地獄は本当にあり、悪人は必ずそこで裁かれますか?前回質問させていただいた事と絡んでいますが、仮に義父としますが、かなり鬼畜な男で死ぬまで反省、謝罪、改心しませんでした。病気で死にましたがあまり苦しまずに死にました。また、健在な時も現世の裁きもすり抜け、バチもあたる事もありませんでした。事故に3回ほどあいましたが、なんとケガ無しでした。悪魔の強運というか、悪魔が味方についているのか?母も不思議がってました。しかし、あれだけ迷惑、悪行をして、反省しなかったのだから地獄に落ちて裁かれなくてはいけません。悪人は地獄で必ず裁かれますよね?お答えお願いいたします。なお、冥福を祈ってあげなさい というお答えは絶対しないでください。文章上、義父としましたが義父ではありません。血もつながっていないし、戸籍でも全く関係ありません。赤の他人です。この辺の経緯は話すとかなり長くなるので仮に義父としました。だから遺骨も墓もどうなっているのかわかりません。ちなみにこの男、親類、縁者他全て絶縁されてます。悪行をするからです。くどいようですが冥福、供養は絶対する気がないので言わないでください。お答えお願いいたします。追伸、どんな男か詳しく知りたい方は前回の私の質問を見てください。
最近、私は知らず知らずに人を死なせてしまっていたのではないかと思い始めました。例えば人ごみをかき分けていく際、人を押しのけた時に「これで誰かが転んで軽い怪我をしてもいいや」と自分で勝手に考え、結果的にその転んだ人は打ちどころが悪く亡くなってしまったとします。 この場合、わたしは殺意はなくても人を死なせた殺人者として地獄へ落ちるのでしょうか? また、
地獄が怖くて仕方がないです。 私は子どもの頃に何度も物を盗ってしまっていたり、たくさん嘘をついてしまっていたり、虫を殺してしまっていました。 今はその事をすごく後悔しています。 ですが、謝ろうにも連絡先がわからない人もいますし、死んでしまった虫はもう生き返りません。 盗みをしたり、嘘をついたり、殺生をしたりしたら地獄行きだと聞きました。 今は精いっぱい人にやさしくしたり、良い事をしようと頑張っていますが、どれだけ一生懸命してしても、気づかぬうちに悪いことをしてしまっていたりもします。 すごくわがままなのは分かっているのですが地獄に行きたくないです。 地獄に行かないようにするためにはどうすればよいのでしょうか。
できれば全ての宗派のお坊さんに聞きたいのですが、仏教ではどんな人が地獄に落ちるとかんがえられているのでしょうか? 以前の質問を見ていただきたいのですが、私は自転車で危険な運転をしたり、父を突き倒したりしたわけで、その時「相手が死んでしまってもいいや」と考えていたかもしれないわけですから、自分のことを人殺しかもしれないと思っています。 そんな私はやはり地獄行きなのでしょうか? また、地獄へ行くのを回避するにはどんなことをすれば良いのでしょうか?
先日、父がアルコール性肝不全により亡くなりました。普段からアルコールを大量に飲むことによってなった病気だとお医者様からは聞かされました。 この病気の原因は父自身だと周りは言いますが、 私は父が亡くなったのは私のせいではないかと思っています。 私は中学の頃から約10年にわたり、父の私にかまってほしいという態度をうざったく感じ、父に酷い態度をとっていました。食事に誘ってくる父を冷たくあしらったり、リビングにいる父を毛嫌いし、自分の部屋で食事を取るように言ったり、リビングでテレビを見ることも嫌いました。また、会うたびに舌打ちをしたり、「死ね」と暴言を吐くこともありました(その後謝りましたが)、加えて一度、押し倒したこともありました。そんな態度の私に対して父も同じような言動をとってきて、仲は険悪になっていき、アルコールの量も増えていった気がします。 その頃から、父の勤務先の環境が本人と合わなくなり、父は鬱病を患い、仕事を辞めました。それに対して私の態度も悪くなっていきました。 そんな父が3ヶ月ほど前、肝不全で入院することになり、その際父に「その病気は私のせいか」と聞いたところ、「あれは自分も同じような態度をとっていたからおあいこで、酒は自分が好きで飲んでいる」と言っていました。その後退院した父でしたが、私はまた、夜中にリビングでテレビを見ながら食事をしようとした父に対して、自分の部屋で食事をとるように言いました。また、前と同じような態度をとっていたかもしれません。 その後父がまた倒れ、入院することになった時、また父に「これは私のせいか?」と聞いたところ朦朧とした意識の中、父に「ケンカ」と一言言われました。どういう意味かわかりませんが、私との喧嘩のせいで亡くなったという意味なのか、あれはただの喧嘩だったという意味だったのか、それが最後の会話になったので、今となってはわかりません。 ここまでのことをしていた私は親を殺した、罪人として地獄に落ちるのでしょうか? 父は私を恨んでいるのでしょうか?
小さなお子さんが闘病の末亡くなるテレビを見てふと思いました。 親より先に子が亡くなると地獄で石を積み鬼に壊され、また積んでの様な話を聞きますが 願っても努力をしても親より生きられない、辛くて大変な思いをしても亡くなってしまったお子さんもこんなことになってしまうのはとても辛いなあと思いました。 お釈迦様の教えは慈悲深いのにこのお話だけは 悲しいなぁとおもってしまいます。
度々お世話になっております 半年前からずっと今まで察知した事の無い死の予感がグルグルと渦を巻いており最近頻発する地震により大きなものが発生するという、またその被害を受けて命を落としてしまうと魂が警告しているのではと最近感じて日々を過ごしております。 そこでなのですが過去に盗・嘘・邪淫【自慰/配偶者でない彼と肉体関係を持ってしまった。求めてしまった】・食べ物粗末にした時期がある・我儘・怒りに身を任せて暴れてしまう・ペットを飼育管理不足で殺生してしまった・以前にお話した真言の関係性は以下にな所もありますがそれでもしかしたら命を奪ってしまった人がいるかもしれない、それと同じく私が聞いた幻聴理由に僧の彼をせめてしまった【五戒⠀】・親になんで産んだんだと責めてしまった・失敗した写仏/写経を供養せずそのまま捨ててしまった【仏の身を傷つける事になる?】包丁でお腹を刺し自殺未遂をしかけたことがある・幼い妹を恐れさせてしまった・幼少期に兄に性的な行為をされそれを求めてしまった時期があった。 このような事からこの私が感じ取ってる嫌な予感が当たってしまった後の世の事を考えて地獄は実在するのでしょうか。 またこの様なものは深い階層のある地獄のどちらへ落とされるのか仏教の戒において知りたいです
今回は、自分でもちょっと精神的におかしくなってるので、ご相談させていただきます。 文章が支離滅裂すぎて、申し訳ないです。 二つほどありますが、仏道を否定したらなんか色々不安な気持ちやらなんやら色々改定はあるんですが、否定しちゃだめだとぶつぶつ呪文のようにつぶやいたり、 仏教やその他色々な事を否定や悪口を言ったら無間地獄に行くと調べてしまって否定しちゃダメだ、悪口もダメだ、謗法になってしまうので、同じように呪文のように 呟いたり頭の中で自分に言い聞かせています。 だけど、否定という言葉の意味を調べた時に、肯定した方が正しいのではと思ってしまい・・、 今に至るという事になります。なんていうか・・もうダメなのかなと思ってます。 否定しちゃだめだと自分に言い聞かせていますが、否定ではなくて肯定するべきだともっと早く気が付いてればよかったのではないかなと思います。 お坊さんの方々はどう思われますか教えてください。 私はこのまま無間地獄に行くの確定になりますか・・?
畜生道に行ったとし、犬猫になったとしたら、お盆に帰るとされるのは空想上のは犬猫ですか?現実世界の犬猫は、なんなのですか。人と畜生は、現実世界に存在するので、二層空間の世界観なのですか?
人には正義がありますよね。 曖昧な言葉ですが確かにあると感じます。 電車内で喫煙した者に勇気を持って注意した高校生、その高校生に腹を立て殴る蹴るの暴行を加えた犯人。 ネット上では高校生の勇気を称え犯人の横暴に憤りを隠せない意見が目立ちます。 このような意見がたくさん出るのは自然なことです。 これは人々の正義感からくるものでしょう。 2ちゃんねるの創始者である西村ひろゆきさんも「頭のおかしな人に対して、正義を貫いた高校生が勇気を賞賛されて、得をする社会の方が良いと思うのですよ。正義の結果に治療費が掛かるなら、振り込みますよー」とTwitterで仰っています。 自分自身もそんな正義が尊重される世の中になってほしいです。 ですが世の中には自分とは相寄れない正義を持つ人々がいます。 お坊様たちも仏教を正しいと思い信仰している以上、その教えに反する者とは相寄れないはずです。 全ての正義が共存するなどありえず、ぶつかれば場合によっては戦うしかなくなる。 これは無限地獄ではないでしょうか。 いつまでも終わりのない地獄。 仏教では執着を手放すことを勧めているので「正義にこだわるな、手放せ」という回答が返ってきそうです。 しかしその考えも執着を手放すことに執着しているとも言えますし、それが原因で新たな争いも起こるでしょう。 この無限地獄は生きている間ずっと続く。 災害や戦争、不況などで環境が悪くなれば尚更。 私はこの無限地獄に耐えて生きていくのが辛い。 死という選択肢が頭をよぎります。 でも死にたくないと思う自分もいる。 生き続けることを選んだ場合、この先どうやって無限地獄を耐え忍べばいいのでしょうか?
躁と鬱と私と共に生きる西條るじん僧侶
和歌山の駆け込み寺・中田三恵住職
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教えと名言・逸話
仏教の根幹となる教え
仏教が説く8つの苦とは