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親に手を出した事があります、頭おかしい自分

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私は小学生のころから父親に馬鹿とか言う事があり、中学に入ってからはお前と呼んだりしていました。
家の中父親の私物で部屋が狭くなったり片付けられない父親にイライラしたのが原因か。

父親は祖母に進路を変えられたことを恨んでいるような話を聞いたことがあり、私が高校生のころに父親と祖母が言い争う事が増えてきたのですが、
それは食事中であったり、些細なことで父親が祖母にいちゃもんをつけて言い争う事を繰り返すので
ある日ぶちギレて首を絞めようとしたり、父親の眼鏡をたたき付けたり馬鹿げた自己啓発本を破いたりガンをつけて黙らせたりと
荒れていました。

親に対して自分の感情はおかしいんじゃないかと思うのです。おかしいですよね?
愛情はあったのですが、いつからか頭の中で親を卑下しはじめたのです、父親は私の事が嫌いだと思います。
 
思えば私の家族はありがとうをあまりいいません、それも関係してますかね?

何が言いたいのか自分でもわかりませんが、眠れません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

感情はいつでも自由。それへの対応も自由。

 こんにちは。お久しぶりです。
 親に対する感情…それはね、いろいろありますよ。そしてね、移ろうものです。
 前の問いでも「6秒経てば、感情は変わる」というお答えを頂いていると思いますが、我々ができるのは、たかだか「その感情を感知して、どう扱うか」つまり行動としてどうするか?です。
 その感情に乗って行動するか、ぐっと6秒数えてやり過ごすか。その選択権は、常に自分たちが握っているのです。
 問題は、習慣とか自己同一性とかです。「昔俺はこう思ったのだから、今こうしなければならない」という、過去の自分による現在の縛りですね。過去行ったものは一応自分による「お墨付き」がされているので、安心っちゃ安心です。けれど、そこに浸っていると「自由さ」を忘れていくのです。
 今回、いいことを書いていますよね。「うちの家族は、ありがとうを余り言わない」ことに気づいたと。いつだって何についてだって言えるはずなのに、習慣として言っていない。
 だったら、行動をちょっと変えてみませんか?「こんな小さなこと」に有難うって言える自分を見つけに。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。少しずつ礼を家族に対して増やせればいいのですが

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