感謝の気持ちを忘れてしまっているような気がする。
こんにちは、お久しぶりです。
何度もありがとうございます。
私はどうも悪い事ばかりを気にして感謝の気持ちを忘れてしまう事があるように思えます。
嫌な事があった時に反射的に相手が望んでいるであろう態度を取ってしまって後々後悔したりイライラしてしまったりして、今からでも言い返せないだろうか?とか、なんでこうなったのだろう?とばかり考えてしまいます。
最近ふと考える事があって、同じ空間に居た他の人で私の事を考えて私のために行動してくれてた人がいたな…とか、私の事を心配して力になってくれてた人がいたな…なのにその人たちに感謝の気持ちを伝える事が出来ていただろうか?と思うようになりました。
私は嫌味を言われやすいけど、時には味方になってくれたりフォローしてくれたり助けてくれた人がいたと思います。
なんで私は嫌味を言われた事ばかりを反芻してしまい、大事にしてくれている人たちの事は反芻しないのだろう?と最近は思います。
他の方は嫌味を言われてもそこまで気にしないで生きているんでしょうか…
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好意フィルターを取り付けよう
私も同じようなタイプでしたので、気持ちは痛いほどよくわかります。
あなたと似たような私ですが、あることに気づいてから、嫌味を気にすることはなくなりました。
同じ道を辿ったものとして、アドバイスさせてください。
まず、「謙虚さ」が必要です。
「謙虚」とは、傲慢な態度を取らないという意味ではありません。
自分を卑下しないこと。
こっちの方が「謙虚」においてよっぽど大事な要素です。
自分を卑下してしまうと、悪いところだけが届いてしまう嫌味フィルターができてしまいます。
このフィルターを取り除くには、自分を卑下しない、ありのままの自分でいいんだと思うことが大切です。
ありのままの自分を認める。
自分を卑下しない。
謙虚に生きる。
これが一番大切なことです。
それでも、あなたはありのままの自分を認められないかもしれません。
でも、あなたはありのままでいい。
あなたはあなたを卑下する必要はないんです。
だってあなたの味方になってくれたり、フォローしてくれたりする方がいるんですよね?
であれば、あなたは他人から大切にされるに値する人物ということです。
なので、大切に扱ってくれる人たちのことだけを信じましょう。
そうすれば嫌味フィルターは、好意だけが届いてくる好意フィルターに様変わりするはずです。
これで好意的な行動をしてくれる方たちに、反射的に感謝を伝えられます。
嫌味なことを言う人は、嫌味を言われて傷つく人の気持ちを知らない人です。
そんな人の言うことは聞く必要ありません。
他人を傷つけて自分を保ちたいんだな、くらいに思いましょう。
あなたは他人を思う優しい人なので、全員を思いやりたい気持ちがあるのはわかりますが、それを嫌味として返されるなら、その分、大切にしてくれている方たちに思いやりを届けましょう。
質問者からのお礼
石井祐晃様
ありがとうございます。
ずっと我慢をして生きてきた所があって、そうしないと受け入れてもらえないと思っていたみたいで、最近は母に対して嫌な事は嫌と言えるようになり、その結果母に「融通がきかなくなった!あんたは病んだ!」と言われても昔ほど自分を否定しなくなりました。
ありのままの自分が何者なのかわからなく、そこでも悩んでしまう事もありますが、大切にしてくれている人は私のありのままを認めてくれているんですかね。
少しずつ変われてこれている気がするので「好意フィルターに変わると生きやすいなぁ」と思います。
たぶん、無意識で卑下しちゃっているんだと思います。
私もそっちの世界で生活がしたいです。