自分は職場の同僚にこれはゆっくり操作してとか、これはこうじゃないとか言われると、文句あるなら自分でやってくれと思ってしまいます。
同じように妻からも、出かけて並んでる時に、肩を叩かれてこっちの列に並んでとか言われると、自分でやればいいじゃんとか、そんなことどっちでもいいだろと腹が立つ時がよくあります。
本人たちに怒ったり、そのことを伝えたりしませんが、イライラはしますし、自分に自信がないからか、指図をされると反発してしまってるのかなって思います。
イライラしてしまう自分に問題があるのか、言われやすい自分に問題があるのかどちらなのか、わからずにいます。
何か言われる度に自信を失いますし、恨んでしまいます。こんなふうに言われてるのは自分だけなのかなとか他の人も言われてないのかなと探している自分がいます。
こんな自分に心構えを教えてくださるとありがたいです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝
何か言われると
否定されている
そう感じてしまうのは誰でも同じ
しかし
助言してくれた人が自分より尊敬できるや目上の人であっても同じ反応をしますでしょうか?
このチェックにより
怒りや自分の深いところに内在する
差別意識のチェックになるかと思います
差別意識があるならそれは謙虚になるべきですし
不満や怒りがある間に口を開いてはいけません
ただ心を鎮めながら謙虚に助言を受け取りましょう
本来はお互い忌憚なく言い合える関係になるべきですが
そのためにはまずは
人の言う事を
例えただの悪口でも冷静に聴く力が必要です
何かを言われて自信が無くなる作用は
誰かの評価を過剰に欲しているからです
例えば人に受けた助言を最後まで真摯に受け止めた時
その自分を自分で評価すべきです
人に優しく出来た時自分を評価すべきです
勿論多面的な幸せのために
人の評価も必要ですが
これは欲して必ず手に入るものでもありませんからね
相手が例え怒りの感情で土俵に上がったとしても
同じ土俵に上がらず心の中で合掌して受け取りましょう
これが謙虚さです
勿論間違えているならしっかり話し合うべきですが
大事な事はどんな事があろうと心が揺れない事です
合掌
まずはご回答ありがとうございます。
>そう感じてしまうのは誰でも同じ
だれでもなんでしょうか?
>差別意識があるならそれは謙虚になるべきですし
年下の同僚や後輩などに何か言われても頭にくるのも差別意識なんでしょうか。
>大事な事はどんな事があろうと心が揺れない事です
それにはどうしたらいいのでしょうか。
忌憚なく話し合った方がいいと書かれていたので、疑問点について質問させてもらいました。