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食べ物の好き嫌いについて

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有り難し有り難し 24

小学生時代に経験したことで今でもあまり納得していない、疑問に思うことがあります。

誰でも経験された事かと思われますが、小学生時代に給食を残さず全部食べないと帰れない等といったルールを押し付けられたことに関してです。

私にはある嫌いな食べ物がありどうしても食べられません。※アレルギーではありません。
当時、給食で教師にその食べ物を強制的に食べさせられましたが非常に気分の悪い思いをして精神的に強い苦痛を感じたことは今でも記憶に残っております。
尚、これまでの人生においても何度かチャレンジしましたが、今でも味や匂い全てにおいて克服することができていません。
それがきっかけで嫌いになったわけではなく、元々苦手なものなのです。

今あるかどうかはわかりませんがこういった指導方法に対して私は今でも疑問に思っています。
苦手な事はストレスをためてでも乗り越えなければならないといった社会の厳しさのようなものを教えようとするならばまだ早すぎる気がします。子供はそんなこと気付きません。
努力すれば克服できるといった精神論・根性論的な事であれば運動部の部活で水分補給をさせずに死なせるような事と同じで重大な事件・事故にもつながりかねないと思います。
嫌いなものを無理矢理食べさせたからといって、その食べ物の美味しさに気づきませんし不味いものは不味いです。

20代になった現在、私自身できるだけ出された料理は作り手や、食材(生物)、そして飢えがなく食べられることへの感謝の意をこめてできるだけ残さず食べようとしますが、
苦手なものはどうしても苦手なので食べられずに残すことはあります。
※状況により、嫌でも無理矢理流し込む場面もあります。
肉・野菜・魚等好きなものは多いですし、嫌いな物でも大人になってから自然と好きになったものもあります。
ですがその時の教えが役に立ったとは思いません。

果たして嫌いな食べ物を残すといった行為は悪いことなのでしょうか?
嫌いなものをできるだけ減らせたら良いのはわかっていますが、人間ですので好き嫌いは多かれ少なかれあるはずです。
その教師らも好き嫌いはあるはずです。
どうしても嫌いな食べ物を食事で出されたら、皆さんはどのようにされていますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教的に考えると、食べることは命をいただくこと。

食材は全て
他の命を絶って加工したもの。
だから食べ残すことは
せっかくの命を無駄にしてしまうこと。

自分の命を維持するために
仕方なく殺生することが
食べるということ。
だから食べ残すことは駄目なのです。

でもそんなことを教えるために
子どもに完食を強いていたのではないでしょうね。
単純に身体の為とか
もったいない精神をを身につけさせるとか
そういうことでしょう。
それが食事を通して強いるべきことなのかどうかは
難しくて私には分かりません。

大人になってからは
嫌いな食材を食べる状況は激減しましたが
食事会や御馳走になる場合とかは
我慢して全部いただきますよ。

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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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全ての子供たちが

拝読させて頂きました。
そうですね、食べられないのに食べることを強いることは本当に悪しきことと思います。
和田 師がおっしゃるように食べることは命を頂くことですから本当に有り難き尊いことですからね。一つ一つ感謝の念を持って頂くことが頂くそれぞれの生命への尊厳を保つことですし、そのような生かされている今までの自分を見直し機会にもなりますからね。
ほんの小さな種や卵が発生して沢山のものごとや自然に育まれてお百姓さんたちが心血注いで育てて、漁師さんたちが己れの命をかけて生き物たちをとり、様々な方々のお力で運ばれて、料理人さんやお母さんお父さんやご兄弟やおばあちゃんおじいちゃんが長い伝統に則って美味しい料理を作ってくれて、初めて私たちの前に食べ物が出されます。
その命たちや気の遠くなるようなご縁や手順を改めて考えてみると自分が今生きている有り難みがわかるものです。
もしも子供たちがそのような奇跡的なご縁に生かされていることに感謝する機会が失われてしまうならば本当に残念なことですよね。
子供たちが大人になっていけば食わず嫌いも解消される機会を与えられるとも思いますけれども学校教育について食育については見直すこと合間合間に必然かと思います。
それぞれの地域地域によって様々な多様性があり様々な食文化がありますからぜひそのような多様性がある食文化を残していきたいですよね、それにはやはり先ずは食べ物を美味しく頂くことが何より大切ですよね。

これからの世界の全ての子供たちが飢えることなく美味しく食べ物をいっぱい食べられて、頂くことに感謝しながら心身ともに健やかに成長していかれますようにと切にお祈りします。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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仏教的残し方や食べ方

詠まさせていただきました。
私は保育園の時から給食を残していたらしいです。
でその残し方が一つのものまるまるのこすというもの。
箸をつけたものは食べなくてはならないが、箸をつけないものは残しても良い
という仏教の?寺の?食作法がありまして、箸をつけないで残すもんだから、
園長先生に「寺の子供だなあ。」と言われたとか母に聞きました。

あと私はたとえ外食でもいただきますごちそうさまと合掌しますし、食べ方も三角食べが
できなくて、一つ一つ頂かないと食べれませんし、黙食です。なので早食いになってしまい
ます。

三角食べとか嫌いなもの食べさせるとかあの食事指導はどこから来るのかわかりませんが、
速くなくなってほしいと思います。

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有り難し
おきもち

浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
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質問者からのお礼

皆様ご回答ありがとうございました。
嫌いな物を無理矢理食べさせるという指導方法については正しいのかどうかという判断については難しい所ですね。
しかし、自分が嫌だった事は将来生まれてくる自分の子供へはさせたくないと思っています。
食べられることへのありがたみ、感謝の気持ち、食べ物を大事にする精神等違った方法で教えて行きたいと思っております。

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