愛犬が亡き今できることは。
先日、まだ幼かった愛犬を、不慮の事故で亡くしてしまいました。
事情が複雑だったため、ここhasunohaで質問させていただき、有難いお言葉を頂戴しました。
私にとりあえず今すぐできることは祈ることだと思い、
昨日からさっそく近所のお寺にお参りしに行き始めました。
なんとか愛犬が幸せになるよう、通いたいと思っています。…ですが、
私のお家は浄土真宗らしく、調べてみると
ペットは畜生なので浄土へ往生できないとのこと。
近所のお寺も浄土真宗でした。
信じる気持ちはありましたが、祈る立場と場所、方法が悪かったのでしょうか。
それとも信じる気持ちが大切なのでしょうか。
勉強不足で申し訳有りませんが、分かることを教えてくださると有難く思います。
よろしくお願いいたします。
最後に補足になりますが、
自分の願いは、愛犬がなんの憂いもなくいてくれることです。
そのためになにをするべきかも併せて教えていただけると有難く思います。
よろしくお願いいたします。
他人の気持ちを気にしてしまう。 誰かに必要とされたいという欲望
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
昨今のペット事情
昔は牛や豚、犬などの畜生は外で飼われていた、仏法に触れる術というものはなかった
今はどうか
家の中で飼われる機会も増え、家の中には仏壇がある
手を合わせる人がいる、僧侶が来る家、近所の家から経文が聞こえてくることもあるかもしれない
鐘の音、木魚の音、仏法に触れる機会はいくらでもある
その音の1つ1つが仏法の欠片であり、少しずつ畜生であろうと積み重なっていく
浄土真宗本願寺派のご門主は、『世のなか 安穏なれ』という著書の中で、このようなことをおっしゃっているそうだ
「動物が死後ただちに極楽浄土へ行けるかどうか、仏ではない私たち人間にはわかりませんが、生きとし生けるものを照らし、仏にしたいと願われている阿弥陀様ですから、人間とは別な手立てをご用意されていることでしょう」 (90頁)
浄土宗においても阿弥陀様は一切の衆生を救うとおっしゃっている、それほど阿弥陀如来という仏様は慈悲に溢れてらっしゃる
それだけの力をもって、お慈悲の心を持っている阿弥陀様が畜生だから救わない救えないなどとおっしゃるか
そんなことは無い、そのような区別など仏様のすることではない
犬であろうと猫であろうと牛豚であろうと生命を終えたとき、お救いになるに決まっている
そうでなければあんまりではないか、救いは決して人間だけにあるのではない、そのようなものはただの人間の傲慢である、人間程度が何を偉そうに、というようなものです
大丈夫です、愛犬はちゃんと貴方たち家族の供養によって往生できます
亡くなってもこれから先、ことある毎にたくさんのことを教えてくれるでしょう。そのたびに身体は見えなくなっていてもちーかまさんたち家族の心の中に住んでるんですよ
家族が覚えている限り、想う限りいつまでも色んなことを教えてくれて助けてくれるんですよ
お寺さんにも色々な方がいらっしゃるので否定をするつもりはありません
ですが私は愛犬は往生していると思っていますし、しているはずだと確信しています
そのお寺さんはそう考えているので否定もしませんし、悪気があるわけではないと思いますが私は好きではありません
お寺によって色々な考えの人が居ます、なんて寺だと思えばそこを避けるのもまた自由、あまりそこで言われたことを気にし過ぎないよう
参考http://www.merry-shaka.com/?eid=693
質問者からのお礼
翔玄 様
有難いお言葉を、本当に感謝いたします。
ペットとはいえ、かけがえのない家族。
亡くなったけれど、たくさんのことを私たちに教えてくれました。
愛犬の往生を私も信じて疑うことなく、
私なりの信念をもって、
祈り続けたいと思います。
また心が折れそうになったらお話を聞いてくださると嬉しいです。
どうもありがとうございました。