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厄介な感情「正義感」

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昨年彦根市の降板で当時少年だった警察官が教育係の巡査部長を射殺する、という事件が起きました。
公判における被告の犯行時における供述を見るとなんともやりきれない気持ちになります。
以下記します。

「書類の細かいところを何度も指摘され、警察官の資質がないと落ち込み、眠れない日もあった」
「(犯行直前に両親を侮辱され)たまっていた感情があふれ、涙が止まらなくなった。この人が死んだら楽になれる、撃ったら楽になれると考えた」
「新人のくせに不満を言うのかと思われるのが嫌だった。噂になり、自分の評価が下がるのが怖かった」
(逃走中に母親に)「ごめん、死ぬわ。両親のことまでぼろくそ言われてどうにもならんかった」

もちろん一方の当事者の巡査長は亡くなっているので決めつけることはできませんがこの供述が事実であればパワハラはあったと想像します。
私は以前企業の総務の職に就いておりその際ハラスメントの事例をいくつか体験しましたがその時の印象を記します。

職場のパワハラをやらかす人は
「誤りを正してやっている」
「間違っている者を正しい道に導いてやっている」
というつもりでやっているらしいこと。
セクハラをやらかす人は
「職場の風通しをよくしている」
「(自分のは)明るいエッチなので職場の雰囲気が良くなる」
というつもりでやっていること。

冷静になったら彼らも理解するのですがやってる時は本人は「善いことをしている」つもりなので救われません。

「怒り」などというものは当人にすればすべて「正義の怒り」です。
そして上司を射殺するという衝動を引き起こしたのも「怒り」です。

正義感自体はなくてはならないものだと思われますがそれが様々な争いを引き起こす原因になっていることも否定できない事実です。
正義感に負けない人間になるのはどうしたらよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【悪人正機】

「正義の味方」より「弱者の味方」っていうのはどうですか?

<追記>
昨年の彦根市の事件のみならず、ひとつひとつの事案を評価するのは大変難しいと思います。
ただ、ミスを赦さない社会が隠蔽体質を作り、隠蔽体質が不正を作り、不正が恨みつらみを拵えるというカラクリは確実にあると私は考えます。もちろん、事と次第によっては一発アウト、絶対に失敗や横着はゆるされないものもあるとは思いますが。
とりあえず、お尋ねの”正義感に負けない人間になるには”には、やはりルールに則って裁きを下すその一方で、咎人のそうせざるを得なかった背景にまで斟酌できる慈悲の眼を養う必要があるように思います。

「慈」は苦を抜く「悲」は楽を与える
弱者に希望の光を与えんとするこの【抜苦与楽】の精神こそが、悟る以上に重要な大乗仏教の眼目なのです。

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質問者からのお礼

御回答いただきありがとうございます。
なるほど。弱者の味方ですか。その人が弱者かどうか判断できるかなぁ??
今回の事件のように事件になっちゃえば「ああ深刻だったんだな」という想像力が働くのですが問題が顕在化しなかったら同じ話を聞いても「甘えてる」とか「同情されたくて話盛ってるんじゃないの?」とか疑ってしまいそうです。
「正しい」というのは大事なことだと思いますが難しいですね。

追記ありがとうございます。
咎人のそうせざるを得なかった背景にまで斟酌できる慈悲の眼を養う必要 > 私にとっては「正義」は怒りに近く怒る前に色々考えることが大事なのだな、と思います。
どこまでできるかわかりませんが心がけようと思います。

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