死産二回、私の人生について。
これまで3回妊娠・出産しました。
1人目の子は、何の問題もなく産まれましたが、2人目・3人目をこの一年の間に二度亡くしました。事情や過程は違いますが、流産ではなく死産です。いずれも偶然起きた事であり、運が悪かった、不運が重なったという事です。
だから今度こそという思いもあり、また妊娠をしたいという思い半分、また流産死産になるかもしれない思い半分、30代半ばで年齢的な問題、1人目の子との年の差を考えても、次の妊娠を考えるべきか、悩んでいます。
子供に兄弟姉妹を作ってあげたい、それが一番の理由です。
私がお聞きしたいのは、何故私ばかりがこんな残酷な思いをしなければならないのでしょうか?
誰かに恨まれるような事もしていない、真面目に生きてきたつもりです。いつも真剣に努力して生きているのに、報われない事ばかりです。
持病があったり、予め私に問題があっての事なら仕方がないかもしれません。でも、二回とも医師は「運が悪かった」というのです。
運が悪いではもはや納得ができないのです。
私は宗教とかお祓いとか占いとか信じてませんでした。でもこの数年で死産とその他にも事故や身内の病気、悪い事が重なり、何か悪いものに取り憑かれている、呪われてる、今そんな感覚があり、気持ちの整理のためにお祓いをしてもらおうかと考えてまいます。
お祓い、子宝祈願、何をすべきでしょうか?
お祓いをすると周りに厄がいくというのを聞きますが、厄除けの方が良いのでしょうか。
こんな私はどこのお寺にいくのが良いのでしょうか?
不運だというのなら、運が良くなるための導きを教えてください。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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良い・悪いではない。でも、ないことを考えるのが人の気持ち。
ご相談拝読しました。
お気持ちはわかります。本当にお辛い思いをなさったことと思います。
いや、こんなことを言うとあなたからしたら「私の気持ちなんか誰にも分からない、簡単に分かってもらってたまるか」と叫びたくなるくらい苦しかったことと思います。そして今もそうしたお気持ちの中にいるのですね。
だからこそ、ちょっと落ち着いて冷静になっていただきたいと思います。
私には子はいません、まあ察してください。そういう人もいます。交通事故にあう人もあわない人もいます。災害に遭う人も遇わない人もいます。一度遭って、転勤先でまた遭ってという人もいます。
この中に呪われている人や憑かれている人がいるのでしょうか。
そうではありませんね。
呪いや憑き物があるとしたら実際にあるのでなく、「あると思いたい人の頭の中に」あるのです。そう
>もはや納得ができないのです
というあなたと同じ気持ちです。
「こうでも考えなかったら納得できない。納得しないとやってらない。」
そこに危ういものに引っかかる罠があるのです。人はわからないものをわからないままにしておけない弱さがあるので、「自分の分かる範囲に無理やり納め込んででも納得したい」と考えます。そこに呪いや憑き物といったものがピッタリはまるのですね。
しかし実際には誰も全てのことに納得して生きているわけではないのです。
あなたの好きな食べ物嫌いな食べ物は何ですか?好きな芸能人は誰ですか?それは他の人と同じですか違いますか?
人参が嫌いな人はいいけど、ピーマンが嫌いな人は呪われているのでしょうか?アイドルAが好きな人は運がいいけど、俳優Bが好きな人は運が悪いのでしょうか?
そんなことはないでいしょう。あなたはその全ての違いに納得しているのでしょうか。
その医師は「運が悪かった」とおっしゃったそうですが、それは不正確なのです。良い悪いではなく、色んな人がいるのです。色んな境遇があるのです。
そのどれにも本来は良い・悪い、まして呪いなどないのです。
あるとしたら、人生のある一瞬を取り出してその時にその人の価値観や都合で善悪を評価する時に、その人の頭の中に善悪が生じるのです。
気持ちの整理のためのお祓いもどうしてもというならば否定はしません。しかし本当に気づくべきは「なんでも納得したい」という自分の気持ちへのとらわれなのです。
拝読させて頂きました。
恵まれた大切なお子様達がお亡くなりになりあなたは大変悲しい辛い思いをなさっておられることかと思います。そうですね、あなたが理不尽だと、どうしても納得いかないと思われるのも無理からぬことかと思います。なんで私ばっかりこんな目に遭うんだと思わずにはいられませんよね。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
そしてお亡くなりになられたお子様達が必ず仏様に救われて仏様のもとでこころ安らかになられます様にと心から仏様にお願いさせて頂き、ご供養させて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お子様達はこれから仏様のもとでこころ穏やかに安らかになります。そして円満にご成仏なさって下さいます。これからあなたや皆さんをお見守りなさって下さいます。
あなたや皆さんとそのお子様達はこれからもずっと永遠にご縁がつながっていますからね。
いついかなるときもどこにいてもその子達はご先祖様方と共に優しくあなたや皆さんを見守り続けて下さいます。どうか合間合間にその子達を思い手を合わせてこころからご供養なさって下さいね。あなたの思いは必ずその子達が受け止めて下さいます。
私達夫婦にも子供はおりません。残念ながら身体的な理由により実の子に恵まれることはありません。本当に辛い思いを致しました。がしかし今は出来るだけ多くのお子様達に対して触れ合いながらお子さん達が健やかに成長していく様にと切に願っています。合間に里親となってもいます。その様に生きていこうと思っています。
私は毎日お寺の過去帳をひもといてご供養しています。その中では沢山のお子様達が亡くなっている記録を目にします。人によっては本当に毎年のようにお子様を亡くしている方々の記録も目にします。その時の親の無念や悲しみや後悔は如何ばかりであったかと思いをはせます。そして心を込めてそのお子様達をご供養させて頂きます。
お寺ではそのような記録を通していかに皆さんが心を込めて供養してきたか、亡くなったお子様達とのご縁を大切にしてきたか、皆さんがその悲しみや苦しみを分かち合って生きてきたかを垣間見ることができます。
時代は変われどその様な親子のご縁は消えるものではありません。
いつの日かあなたがその天寿を全うする時には必ず先に旅立たれたお子さん達やご先祖様方があなたを迷いなくお導きなさって下さいます。