生まれて来てくれてありがとう
娘が亡くなってから3カ月経とうとしています。前にこちらに相談させて頂いた時は まだ1カ月でした。この3カ月長かったです。もう何年も経ったような感覚で…。
今だに思います。仏様も神様もいないんだなって。娘の火葬の日、病気になる事も亡くなる事もご縁です。と住職様に言われたのですが 正直 そんなご縁いらないよ!って思っていました。家の最寄り駅に毎日、聖書を勧める方がいらっしゃって、声をかけられました。私は、失礼ながら そんなものは信じない!って言ってしまいました。娘を助けてくれなかったっていう気持ちがあったので 勿論分かっています。違うって。
こんなに早く死ぬために生んだんじゃない…娘がどんな彼氏を連れて来るのか、どんな女の子に成長するのか、どんなお嫁さんになるのか、どんなお母さんになるのか、すごく楽しみにしていたのに まだ9歳の娘は何も出来ないまま、手の届かない所へ逝ってしまったんです。親にとってこんな辛く、悲しい事はありません。
娘の臨終の時、お母さんの子供に生まれて来てくれてありがとうって言いました。でも、本心はこんなに短い人生なら何で生まれて来たの?って思っていたと思います。それが本音かもしれないから私は最低な親ですよね…
娘が息を引き取った時間に毎日目が覚めてしまうのですが、それは私に何か伝えたいことがあるのでしょうか?何で助けてくれなかったの?とか言っているのでしょうか?夜中の2時なんですけど、毎日寝不足です。天国で幸せに暮らしているならいいのですが…。
最後になりますが、娘が亡くなった事を仏様のせいにして申し訳ありませんでした。誰かのせいにするなら、仏様しか思いつかなかったので…ごめんなさい。
娘(享年9歳5カ月)が亡くなった事が受け止めきれない
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人は必ず生き役がある。
聖なる風の音さん、こんにちは。
お嬢さんが亡くなられた事、心よりお悔やみ申し上げます。
まだまだ可愛いお子さんをなくす悲しみは、いくばくかと存じます。
私の物書きの先生は、全身ほぼ全身不自由の障碍で右手だけが動く方でした。先生は最初は全身障害に生まれたことを恨んでいたそうです。しかし右手が動くことでたくさんの本を読み、そして物書きの仕事をすることになり、他の人にはできないたくさんの仕事をすることになりました。晩年私に、「人は自分の障碍の人生は無意味と思ったが、障碍の中で、こんなに素晴らしい仕事ができることになった。人は生まれたからには必ず意味がある。必ず生き役があるんだ。」と「生き役」という言葉をいつも使われていました。
お嬢さんは9歳という短い人生でしたが、生まれたからにはお嬢さんにも必ず「生き役」があるのです。もしお嬢さんの死を通して、母であるあなたが、生きる意味を考え、死の意味を考え、命の大切さを学び、仏様の信仰を始め、これからの将来、素晴らしい人生を生きたならば、お嬢さんは死を賭してまで、大切な母に、命の大切さを教え、仏様の信仰に導いた素晴らしい「生き役」を果たされたことになるでしょう。人生の重みは長く生きることだけではありません。たとえ9歳という短い人生であっても、100歳の老人の人生よりも充実した、社会に影響のある人生を送った価値があるのです。それはお嬢さんの母であるあなたのこれからの生き方次第です。
ぜひ、お嬢さんを通して学んだ生きることの価値を学んで、お嬢さんが霊界で喜ぶような人生を歩んでください。心から応援します。いつでもご相談を。合掌
娘さんと共に
拝読させて頂きました。
大切なお子様を亡くされてあなたはとても悲しい思いをなさっておられるのですね。
あなたのその深い悲しみや理不尽な思いを全て理解することはできませんけれども、あなたのそのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
娘さんはあなたに命を頂いて不思議なご縁であなたのもとに生まれていらっしゃいました。その人生は大変辛い思い苦しい思いをなさったことでもあるでしょうが、あなたとの深いご縁を結び、生きることの意味や重みや尊さをその人生の中で感じられたのではないでしょうか。
あなたや皆さんと言葉を交わして共に同じ時を過ごしながら喜び合い辛い時には共に慰め合い、そして心の支えとなってその密度の濃い人生を生き抜かれなのではないでしょうか。
娘さんはあなたや生きる多くの方々に命の重みや尊さをお伝えなさったのではないかと思います。そしてあなたと一緒に精一杯その生命力のあらんかぎりを尽くして天寿を全うなさったのではないでしょうか。
娘さんはきっとあなたや皆さんと充実した豊かな幸せな人生を生き抜かれたのです。
今娘さんは神様や仏様やご先祖様方や親しい方々に導かれて、一切の苦しみから解放されて皆さんと一緒にこころ穏やかに安らかにお過ごしなさっておられることでしょう。
そしていつ如何なる時もあなたをいつもいつも優しく包み守っていて下さっていることでしょう。娘さんはあなたのその悲しみをうけとめて寄り添っていてくださることでしょう。あなたと娘さんとのご縁はこれからも永遠につながっているのです。
あなたがいつの日か天寿を全うなさる時にも神様や仏様そして娘さんが必ずあなたをお迎えなさって下さり、そしてあなたは心穏やかに娘さんと心から分かち合うことでしょう。
どうかこれからも娘さんに思いをはせて真心込めてご供養なさって下さい。
娘さんを心を込めご供養させて頂くと共に、あなたがこれからもずっと娘さんと一緒に、娘さんに守られながら、心穏やかに豊かに日々を歩んでいいかれます様にと切に神仏や娘さんにお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
お二方のお話とても心に沁みました。ありがとうございます。生きる意味、命の重さ、尊さ、儚さ、娘の死でほんの少しだけ知る事になり、現実は厳しいと思い知りました。打ちのめされた感じ、因果応報という言葉がありますが悪い事をすれば自分に返ってくるということですよね?それならば私の方が当てはまり、もしかしたら娘の死は私に対する因果応報なのではないかと思ったりします。結局は私のせいなのかもしれないって…。麻痺があり、視力も失い、歩く事さえ出来ず、それでも死にたくないって言ってた娘の願いも叶わず9歳の小さな体には大きな負担だったはずです。今まで生きてる事が当たり前だと思っていたのに、当たり前なんかじゃないんだなって思い知りました。今は、そんな不自由な体でも生きたいと願った娘の分まで生きていこうと思っています。
本当にありがとうございました。