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本当の自分

ストレスで精神的に不安定なので、自分を見つめ直して少しでも楽になるようにヒントを探しながら過ごしている日々です。

ストレスを減らすために、本当の自分を出していくようにすると良いと知ったのですが、本当の自分というのが分かりません。
わがままをちょっと言ってみるとか、ホッとする方を選ぶとか、人に合わせすぎないとか、言葉では分かっても、そうしている自分も本当に本当の自分なのかが分からなくなってしまうのです。

子供の頃は親から見て良い子と思われることをしなくてはいけない、成人してからは社会人としてこうでなくてはいけない、キャラもないとつまらない人になってしまうので人を笑わせるような面白い事を言わなくては、良い人と思われないと嫌われるので断れない、人の話しは分かってあげないとせっかく話してくれたのに失礼とか悲しい思いをさせるかもしれないのでなんとかして分かってあげないと、子供が生まれてからは良い母親と思われる行動をしなくてはいけない、子供の前でも悪い見本は見せないようにしっかりしないと、など思ってしまい疲れて脱け殻の様になったり、突然限界がきておかしくなってしまいます。

ただ高校生の時は親の知らないところで一番、誰に対しても自己中でわがままで言いたい放題やりたい放題で友達とのトラブルも多く、友達を無くした時でもあったのでトラウマもありますが、一番自然体で何も考えず一人で楽しかった時かもとは思いました。でも、あの時の自分が本当の姿なら嫌われて誰も寄ってきてはくれないと思うので、気づけば人の意見を優先にしてしまいます。

なぜ今こうなってしまったのか、変わりたい自分も、本当の自分を見つけたい自分もいるのに、それに向けて実践できているのかいないのかも分からなく、そもそも理想の上での作られた自分でいいのか、わがままな自分でいいのか、頭がごっちゃになってしまい、自分が安定せずまたしてもストレスを溜めてちっとも前進しません。

どうすれば本当の自分になれるのでしょうか。どうすれば楽に生きられるのでしょうか。
ストレスって何であるんでしょうか。
ブレブレの私は一体何者なのでしょうか。
お助けください!

心構え・生きる智慧
有り難し 17
回答 2

質問投稿日: 2019年2月8日 20:28

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

sramana kaden

自分は、たったひとつきりではありません。

ご相談読ませて頂きました。
自分とはなんであろうかと、
悩みながらも日々の務めをこなしていかなければならないのもつらいところですね。

さて、本当の自分、というときのその「自分」は、
たいぴーさんにとってどのようなものなのでしょう。
テレビや本などでも、自分探しなんて言葉を目にすることがありましたが、
そういう、これだ!と見つけるような「自分」は、本当にあるんでしょうか。

生まれてすぐのあなたはどうだったでしょう。
しがらみに捉われることなく、周囲に支えられて育ったあなたは、
疑うことなくあなた自身です。
そして成長していくにしたがって、
色んな事ができるようになり、色んな人と関わるようになり、
そうして変わっていくあなたもあなた自身です。

今だって、
職場での自分も、家庭での自分も、地域での自分も、
ひとりでのんびりしているときの自分も、
どれも余すところなく自分です。
変わる自分でいいのです。

水は温度によって氷になったり湯気になったり、
あるいは入れる器に合わせて形を変えます。
相手によって自分の見せ方が違っていいのです。

社会人としてちゃんとしようとか、
相手のことをわかってあげたいとか、
子供の前ではしっかり見本になるとか、
いいお母さんじゃありませんか。

ただやっぱり、頑張りすぎるとどこかに無理が出てきます。
自分がどうとかいうことはさておいても、
誰だって無理して頑張ったら疲れてしまうこともあります。

周りとの関係性を気遣いながら、
色んなことをしっかりやろうという、
自分のその気持ちも大切にしてもらって、
そのうえでもう少し力を抜くのはいかがです?

不安定なところでバランスをとろうとするときは、
力みすぎると振れ幅が大きいままで落ち着きません。
揺れるのは仕方がないので、
まず揺れを小さくしましょう。

静止して固まってしまうより、
動き続けている方が安定する、
なんてことだってありますよ。

10日前

本当の自分を見付ける必要はないのかも

自己の探求が悟りにおける一つの道筋のように考えられることもありますが、そんなものはわからなくても大丈夫です。

お子さんを連れてちょっとした山に登って景色を見下ろしてみて。
そこに誰かがいたら、すれ違ったら、みんななんでこんな山にいるんだろうって考えたり、勇気があれば話しかけてみて。
「今日は清々しいですね」とか。

この世は自分が思っているよりも包容力があるのかもと感じられればしめしめです。

私は自分に迷ったら、そうしています。
なんでこんなところに人がいるんだろう?って場所にいって人と話す。そんな考え方もあるんだぁって、和尚を超えた見識を持っている方々に脱帽することしばし、です。

10日前

質問者からの有り難し - お礼

ご回答ありがとうございました。
これが自分!という決まったものが無くても良いのですね。
相手によって自分の見せ方が違ってもいい、という言葉にほっとした自分がいました。どうしても人によって緊張度が違ってしまい、相手に合わせすぎたりして、色んな自分が出現して混乱していたと思います。
それに、何事にも力が入りすぎてしまっているんだなという事にも気付かせて頂きありがとうございます。
相手を思う気持ちも、自分を思う気持ちも両方持ちつつ、相手に引っ張られ過ぎず、肩の力を抜くよう心がけて丁度良く自分も出せる、そんな風に過ごせる日を目指してみたいと思います。

守屋様
ご回答ありがとうございます。自分が分からなくても大丈夫なのですね。ホッとしました。
それに守屋様も自分に迷う事があるのですね。山でなくても、自分の知らない土地に行くのもいいでしょうか。そこにいる人に話しかけてみたいなと思いました。でもはじめはものすごく勇気がいりそうなので、お寺を巡るのも良いでしょうか。自分が見えなくとも、自分を受け入れてくれる、心が落ち着く場所を見つけたいと思いました!

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