納得のできる生き方をしたい
私は何に対しても不安になってしまいます。
目には見えない病気なので家族や友人にもあまり理解がされず「もっと頑張らなきゃ!」「家にずっと居ると暇でしょ?」「私だって肘が痛いけれど仕事を頑張っている」など言われてしまいます。
たしかに家族や周りから言われるように私は甘えているだけなのかもしれません。
周りの人達は悩みを抱えながらも体調が悪くても一生懸命、仕事をしたり生きているのに私は人生をなめているというか一生懸命過ごせている気がしていないので、周りからも避けられているように感じてしまいます。
働かないだらしない人とは関わりたくない、ネガティヴな発言しかできない人とは関わりたくないなどと思われているのではないかと常に不安です。
連絡も相手から来ることはないので、私から送るのですが連絡をするにも迷惑だと思われているのではないか、友人と食事に行っても私と一緒に過ごして楽しいと思ってくれているのかな、もう会いたくないと思われているのではないかと相手の顔色ばかりを気にしています。
現在していることは浴槽を洗ったりはしているのですが家族や周りから見たら、そんなことは当たり前で何も偉くはなく、頑張った内にも入らないというような言葉を言われたり、心配して貰いたい、ありのままを伝えたら嫌われてしまう考えだけで嘘をつく癖が治らないなども含めて生きていることが怖いです。最近は今の人生を一生懸命生きようとかではなくて亡くなった後のことばかりを考えてしまいます。自分ことは自分しか分からないから周りの言葉など気にしなくてもいいと思うときもあるのですが、どうしても周りの目や評価が気になってしまいます。少しでも生きていてよかった。仏教の目的の「私が私らしく」「自分を愛おしく」思えるような生き方や考え方を教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
安心や安全を感じること
さくら 様 相談ありがとうございます。
病院にも通っていらっしゃるようなので、そちらを優先してくださいね。
そのうえで、過度の心配・不安・被害妄想的な思いから動けなくなっているということなので、その過度の心配の心の癖をある程度減らす取り組みが必要かなと思います。人は安心や安全を感じるからこそ、心にエネルギーが蓄積されて、動けるようになるのだと思います。ですので、今、少しでも不安から離れられて、安心や安全を感じられるものは何か探してみてください。
例えば、過去の安心や優しさや思いやり・心の温かさを感じたことを思い出してその感覚に浸ってみる。ささやかでもいいので何度もその感覚に浸ることが大切です。
あるいは、好きな色、趣味なこと、あるいは、大好きな場所、癒される場所、
行ったことが無くても、イメージでいいので、癒されて落ち着き安心を感じる練習をしてください。安心を感じることが、ネガティブ思考から変化を起こす一歩となります。
そして、また不安や過度の心配を恐れるのではなく、「何を私に教えてくれるだろうか?」と不安さんや心配さんに問いかけてみてください(自問自答のようですが)。
これは、不安や心配を恐れて否定をしてしまうと、脳内で脅威が増大してしまうからです。脅威を危険と察知した脳は、闘争または逃走または凍り付き反応を起こしてしまいます。たぶんあなたは凍り付き反応を起こしていると思います(推察ですいません)。
そして、この脳の反応(闘争・逃走・凍り付きなど)を穏やかにするのが、安心や安全・思いやり・優しさ・温かさを感じることと言われています。
先にも述べましたが、何か安心や安全を感じることがとても大切だということです。
そのために、セラピストやカウンセラーや僧侶を頼って、優しやや温かさ、穏やかさに包まれるような体験をしてください。また思いやりを自分に向ける(セルフ・コンパッションの)練習をしてみてください。きっと役に立つと思います。
参考にしてください。一礼