回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今が地獄なのですね。
本当に大変なのでしょう。
本当にお辛いのですね。
仏教では
死に様死に方に善し悪しはありません。
誰もが仏さまに救われて成仏します。
でも私は
hasunoha上で繋がった方に
死んでほしくありません。
自殺が一律に悪業になるわけではないのですが・・
はな様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
この人生のこれからのありよう、この生以降の輪廻のありように、「業」は確かに大きな影響を与えていくところとなるのですが、自殺が一律に悪業になるわけではなく、ケースバイケースにて、悪業、中性、善業となる場合、それぞれであるかと存じます。
問題は、その自殺という行為が、どのような動機、心の状態で行われるものであるのか、というところとなります。
特に、無明(根本的な無知)、煩悩による行いとしての自殺は、やはり「悪業」となってしまい、次の赴きへと向けて、悪い結果を生じさせる因縁(原因と条件)になることは必定であるため、とても薦めることができないものとなります。
もしも、自殺が、怒りや嫉妬、憎しみや、惛沈、貪りなどを動機とするところであれば、やはり悪業となるのは避けられないものとなることでしょう。
もちろん、悪業とならない自殺ならば善いのか、動機が清らかなものであれば善いのか、となれば、それはそれで構わないものにはなるのですが、では、私たち凡夫において、そんなことが可能であるのかと申せば、ほとんど不可能に近いものであると言わざるを得ないのが現実であるのであります。
また、業、その動機について、善業、悪業、中性と、私たち凡夫では容易には図りかねないところもあるため、明らかに、上記で挙げたような煩悩によるものであれば別ですが、そうではなさそうな自殺がどちらになるのかということを判断することは非常に難しいものでございます。
(釈尊の時代、弟子において一見すれば自殺であっても、その自殺があまり業に影響することなく、その後、解脱されたと釈尊が示された例が実はございます。)
「業」は過去世、現世における行いの総合的なものとなります。
例えば、前世で多大な善業があったものの、残念ながら今世ではその結果が出ずでも、来世で結果が生じて善い境遇に恵まれる場合だってあり得ます。
一方、前世での善業が、今世の悪業でチャラになり、更に悪業が勝れば、それなりの輪廻の結果となることもあり得るのであります。
とにかく、できるだけ慎重に業に注意を払い、特に、仏道を歩めば確実に善業が増えることで、以降の結果が良くなっていく可能性は益々高くなるものとなります。
是非、仏教に取り組んで頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
あなたは独りではありません
拝読させて頂きました。
今あなたは死にたいほどに苦しい思いをなさっていらっしゃるのですね。
もし宜しければあなたのその思いをじっくりとこの場所でもお聞かせ頂けませんでしょうか?
ここは匿名で様々なお気持ちを伺いながらそのようなお気持ちを共有していく所です。その中であなたにとって何か心にとどまる考えや発見や出会いがあるかもしれません。
あなたは決して独りではありません。
皆さんと共に分かち合い助け合いながら生きていらっしゃいます。
どうか今までのことやその中でのあなたのお気持ちをお聞かせ下さいね。
いつでもあなたをお待ちしてますね。